某メカ柳沢発言において、発言よりも「野党の批判がどーたらこーたら」という妙な湧き上がりばかりする人を見て超不思議。

だって人間(女性)を「機械」に見立てるのは比喩として妥当で、全部の文脈を見ろ、たとえで言ってるんだ、揚げ足取るな、みたいな話でしたけど、

今度の「二人持つという健全な夫婦」は「生物として二人持つという希望をもつのは当たり前だ、そんなことに文句つけるな」でしょ。

自分らは機械としてたとえられても平気だが、自分ら以外のどこぞの夫婦に「生物として健全に」「一人頭でがんばれ」って説教。

よく「全体の文脈で」っておりこうな人は言うけど、一人の発言者の全体性で見ておかしい。
っていうか、「発言内容」より、自分らがそうやってずっと政権握って主導してきた社会で子供を持つのが不安な夫婦が増えてるのに、少子化対策でなんも手を打つ気ない、みたいに厚生大臣が「一人頭でがんばれ」とか言っちゃえるのがおかしい。何「一番責任があって一人頭でガンバ」らなければならない立場の人が、他人事のように言っておるんじゃ。

「一人頭で」「機械」発言を反省した上で、「生物として」「健全に二人」もつような社会を自分たちが主導したい、っていうんだろうけどさ。
「少子化」が問題になるのも「政府都合」だよな。
人口が増えて支えきれなくなるから「二人」を妥当としてきた時代もある。俺が生まれた70年代とか。
昔の楳図かずおのマンガなんか読んでも、優雅なセレブ家庭は一人っ子かせいぜい二人で、「稼ぎもないのに子沢山」はむしろ「抑制の効かない」感じの蔑まれた表現をされていた。(今も大家族の番組あったりすると、「よくあんなに産むねえ」「あんなに作って養えるのか」みたいなことは一般人も言うんじゃないか?)
年金なんかも払うほうがたくさんいたころには自分らがジャカジャカ勝手に好き放題使って、先細りになって採算が合わなくなったとたんに「このままではやっていけない」と「少子化が問題」にされたんじゃねーの。試算捏造までやってたし。鳴り物入りで「改革改革」といった内閣は年金だの社会制度だのは今までどおりの使い放題のほおりっぱなしにしておいて、「郵政民営化」で自己満足でトンズラこいた。

少子化になったらむしろ、小金持った老人の介護何人かに対して労働者1くらいの割合で雇用があってやっていけると思うような気もするけど、ここ何年かの「企業優遇、労働者イジメ」でほとんどの人は老後の余裕をなくしてしまったかもしんない。
行き詰まりの政治を支持してきて、それでも「批判『ばかり』はよくありませーん」てこんなヨタヨタ無政策の現政権の存続に肩もって、お利巧ぶった説教欲に踊らされるのもいい加減にしろよ。

説教ばっかりで具体策のない、いい加減な政治続きで「子供を持つのが不安」になるのが「人間」として「健全」なんじゃねーの?
大体、「産めよ増やせよ」なんて精神論ばかりまかり通って国の号令で食うや食わずの状態で子供作ってた戦前は「不自然」だよな。
生物としては、自分が生き延びるための過酷な時期は子作りは控えるのが「自然」なんでねーの?

ああ、「健全」よりは「自然」のほうがしっくりくるなあ。


#俺も「発言」じたいはそれほどキイキイ言うほどの問題じゃないと思ってるが、
それを機に無政策な内閣が瓦解するのは「大歓迎」なので黙認しているつもりだった。
方法論で反体制同士で内輪もめしているのは体制に利することになるのでいくないと思う。
まあ、それで「批判許すまじ」っていう、「どうあっても内閣を存続させたい」人たちの「政治性」も浮かび上がっちゃったりするわけだけど。政府の悪口を言わない無邪気な立派な国民だから生き延びれるって世の中じゃもーないよね?笑