教育基本法『改正』について、唐突に「いじめた生徒に社会奉仕させる」というのがでてきた件で記事を書いたのだが、

「いじめた生徒にバツとして社会奉仕させようってかあ?仕事としてやってる人をなめてねーか」とムカついていたところに、

piccoliさんからこんなコメント貰った。


 真摯にボランティアやってる人間が逆に変な誤解で白眼視されるきっかけになったりして。

ヒソヒソ( ゜д゜)ヤダァ(゜д゜ )ネェ、キイタ? 
ボランティアヤッテタラシイワヨ( ゜д゜)ヤダァ(゜д゜ )ナンカモンダイオコシタノカシラ


うわああああ、これはありそうだ!ヤダヤダ。


俺もボランティア?と称されることを2,3しているのだが、

主に自分の自己満足のためにやっているのだ。


独居老人宅の屋根の雪下ろしなんか、全部下ろした後自分の仕事の成果というか、雪のなくなった屋根を見て爽快感を覚えるし、終わったあとじーちゃんばーちゃんから茶を入れてもらったりするとすんげーウマイ。

子供の活動の指導員は、子供の相手すること自体が面白く、自分が楽しく過ごさせてもらってるという感覚。

こーゆう活動の中に、いかにも「悪いことしてやらされてます」みたいな仏頂面の人間が入ってきたら興ざめだし、

そんな人間を入れることで奉仕活動自体に支障をきたす可能性も否めない。(雪下ろしだって遊び気分でやったら危険な、緊張感を伴う重労働なのだ。)

事前に対応や受け入れ態勢に指導なりあるとまだいいが、

ここ で書いた教育委員会というか、政府指導の「社会体験学習」みたいなのだって、「生徒を受け入れてくれ」と言われるだけで、事前に研修や指導を受けさせるわけでもなく、生徒を受け入れる側に対する間の助成もなく、かえって各組織で生徒を「指導」することに手間取られ、会社側への負担になっていたりする。


「子供は宝」といいながら、本来子供の教育とは関係のない分野の経済活動奉仕活動に負担を押し付け、奇麗事ばかり言って成果が上がった場合のみ「いいトコ取り」しようとするこずるい政府の姿勢。

今後「ボランティアは罰や義務」とするような風潮、「ボランティアをやってる=なにかやった」といった先入観が持ち上がったら、好きでやってる人間からしたら本当にやりきれないことだ。