テレビ報道でスピンとして都合よく使われてる山口親子殺人事件。

何度も確かに痛ましいことだと思うが、これほどの報道量だと、何かほかの事を隠すためにやっているとしか思えない。

被害者の遺族もメディアに何度も利用され見世物にされ、被害者のむごい最期を何度も何度も晒されているのに司法制度は変わらないのだから、臍をかむような思いだろう。


で、この遺族の方は「死刑制度」は武士道に見合った考え日本の文化に合致しているため支持しているそうなのだが、


(死ぬのはやつらださんのブログの この記事  に手記が載っている)


加害者に生き恥を晒すより死ねと言うまったく武士道精神に長けた広い心の持ち主だと思う。


被害者のほうに気持ちを寄せる人は多いが、加害者の立場になって考える人はあまりいない。

加害者の報道された発言を聞くと、動機が「セックスをしたくなったので」という、驚くくらい愚かで幼稚な人間のようだ。自分の欲望が他人の人生や命に優る、こんな暗愚では自分の罪の重さを感じることもできまい。

俺がもしこのような大罪を犯し、これほど他者に非難され続けたら、他人の大事なものをズタズタに引き裂いた罪の重さの自責の念に苛まれ、「いっそ殺してくれ」と思うだろう。たとえ無期懲役が10数年のときを経て釈放されたとして、その罪がいつか他人の知れるところになり、「婦女暴行して乳児を殺害した悪逆非道の鬼畜」と罵られることを思うともう生きておられまい。

生き恥を晒すよりいっそ自殺したほうがいいと考えるかも知れない。


被害者の遺族の人は、加害少年(今は成年か)にこの罪を背負って生きることの意味を理解できるほどの知能がないことを7年のうちに悟ったのかもしれない。

ゆえに、かれなりの慈悲心をもって、死刑を望んでいるのかも、と思った。


俺だったら無期懲役の仮釈放を待って、なんとでも加害者の身元を突き止め一生付きまとって「鬼畜」のそしりを受ける加害者の生き恥を晒す姿を見たい、と願い熱望しそうな気がするので、この武士道にそったサムライのようなまっすぐな心の広さに、感嘆するばかりである。


(注:俺はひねくれ者なので書いてあることをそのまま真に受けないように。生きているのが一番しんどい。)