下の「周りと同じ服装を選んでしまうお母さんたち 」にも通じるような話だが、

サイバラりえぞーせんせの「毎日かあさんち」に、


 最近子どもを狙った犯罪が多いじゃないですか。そうすると、パトロールとか家の近くで見守り隊とか、自治体からの「下校の時間です。見守りをお願いします……」等の放送があるのだけれど、やっぱりのど元過ぎれば熱さ忘れる……」でいつの間にやらうやむやに。

 地域によってずいぶんパトロールの仕方が違うと思いますが、皆さんの地域や学校ではどんなやり方をしていますか? 「私はフルタイムで働いているから無理!」とか「小さい子がいるから難しい」とかいろんな事情のある人の巻き込み方はどうしています? パトロールの時のグッズとかはどんなものを使っていますか? 皆さんのお知恵をお借りしたいです。(ごまごろう)


といった相談(投稿?)がされていて、「事情のある人間の巻き込み方」とか一般の母親が知りたがる世の中は怖いな、と思ってしまった。

この投稿からはパトロールが自主的・自然発生的なものでなく、事情がある人間も「巻き込まなければならない」という勝手な義務感や、自分たちは一生懸命やってるのにやらない人間はずるいといった被害妄想・不公平感を感じる。



昔の「地域が守ってくれた」幻想をありがたがる人間も多いような気がするが、

みんな忘れてしまったのかもしれないが俺が子供だった10数年前は、子供は完全にほったらかされてた。

女児を狙った痴漢事件もあったし、農業用水路に同級生が落ちて水死、母親が事故死した後自殺した下級生もいた。


しかしこれらの事件は「不幸だが、誰の身にも起こりうる惨事」として、校長が「命を大事に」「危ないところでは遊ばない」「親の言うことを聞いて暗くなったらすぐ帰ろう」といったありふれた訓示をしたり、親が子供に対して「こうすると死んでしまう」といった脅しに似た教訓として語られ、地方ニュースでほんの数分流されたに過ぎなかった。


今のように「四六時中子供を見ていなければ親失格、教師失格、環境がよくない、地域の住民のコミュニケーションが足らない」といった様子でキャーキャー騒ぐようになったのはマスコミがそういう「不安」を煽りだしてからの気がする。


「みんなが子供を守らなければ」という勝手な義務感は、どことなく「米兵に襲われないようにみんなで竹やり訓練」といった戦前の無駄な努力の全体主義を想起させられる。


まあ、子供のことを四六時中気にかけて何事もないようにと見ていられるという状況は結構幸せな感じもするが、それを「事情があって出来ない」人間にまで子供の安全を盾に「みんなでやらなきゃ」という押し付けが強い社会は子供にとっても生き易いと思えない。親同士の軋轢もありそうだし、親同士の軋轢で子供が何らかの被害を受けるケースもあるだろうし。


もっと、「出来る人間がやる」みたいな感じでいいんではないだろうか。

俺の見た感じとしては、「みんなでこうしなければ」「こうやらなければ子供が可哀想」という先入観や義務感が強い親が、自分の子供が他者に対してとんでもないことをやらかしたときは反省もなく「子供は元気が一番」だとか言い出したりすることが多い。


この投稿を読んで今の生徒のお母さん方はTシャツが自然と揃うくらいで、子供や指導員に対して「こうしなければならない」「四六時中気をつけないと子供が危ない目にあったらどうする」といった押し付けがましいことを言うことはないので、まだいいほうだしそれほど危機感を覚える必要もないのかな、と思った。