前の記事にも内容の通じることだけど、

昔はテレビでいかにも憎憎しげに報道される犯罪者に俺が「こんなやつ早く死刑になればいい」とか言ったりすると、

うちの母が「どんな事情があってやったのかわからないうちから、そんなことを言うものではない」とたしなめたものだ。


月日はめぐる幾星霜、そんなことを言っていた母が、こんどは

マスコミで垂れ流される「悪人」に対して正義感を振りかざしてギャーギャー説教している。

どこからこうなったのかは思い出せない。(もしかしたらオウム事件前後からかも)

でも、俺が子供だった15,6年くらい前までは「そうじゃなかった」のは確かだ。


最近で言うと「騒音おばさん」

あの引越し引越し言うやつだが、あれを見るとうちの愛国じじいが「キ○○イ」とうれしそうにののしるのだ。

昔はそんな言葉を聞くと眉をひそめた母も、「おかしい人」とさげすんで、自分たちはいかにも「おかしくない」「常識的な」安全圏から見下ろして安心している。


俺もあのおばちゃんは「おかしい」と思う。


しかし、「おかしい人」が「おかしいこと」をしているのを、おもしろおかしく放送しているのを見て喜ぶ気には到底なれない。


俺だったらあれほど見るからに「おかし」かったら、病院行きを薦めると思う。

専門家じゃない俺が見ても、「常識」とか倫理的な問題でどうできるとかいうレベルじゃないからだ。

俺の友人も「おかしく」なった時期があったが、目つきや、自分の妄想を「本当に起こったこと」と思い込んでしまう過程には、「俺がどうにかできるレベルじゃない」と彼のお母さんと相談して、病院に連れて行ってもらたりした。

今は薬でかなり症状が抑えられ、感情に波がありながらも、その頃の思い込みを客観的に見れるくらいに落ち着いている。


でも、あのおばさん、有罪になったそうで。

フライデーかなんかで見たんだが、あのオバチャン子供を一気に二人も亡くし、ダンナとたった一人残った子供も脳梗塞かなんかで意識不明。

こんな状況だったら俺も絶対おかしくならないとは言えないので、あのおばちゃんは結構「可哀想」な人だと思うんだが、こんな同情もマスコミやそれに乗せられた「大衆」に迎合した司法の「正義」の前には、きっと悪なんでしょうな。南無阿弥陀仏。