とある有名ブロガーさんが元オウム(現アレフ)信者だったという大騒ぎで、(fabriceさんのこの記事 参照)
つい先日最終回だったこの武侠ドラマを思い出しました。
- エムスリイエンタテインメント
- 笑傲江湖 完全版1
江湖(武林)が正派・邪派が分かれ争いを繰り返す中、主人公の正派・崋山派の一番弟子令狐冲は邪派の老人を助け、魔曲「笑傲江湖」を預けられたことで正派・邪派の両方から狙われることとなる・・・というものですが、
この主人公を影ながら(もしくはおおっぴらに)正派の非難から助け、擁護するのが少林寺の方証大師。
方証大師は、邪派の残酷さや粗暴さには眉をひそめるが、「仏に祈る」ことで罪を償うことができ、邪派のものにも悔い改める機会を与えるべきだと主張し、令狐冲が邪派のものと交わることで、邪派のものも正しい方向に導ける、と考えている。
そのため、伝統ある少林寺を令狐冲が率いる邪派の一党を信じ、無人で明け渡したりする。
それに感動して少林寺を掃き清め、荒らすことなく脱出したりするかつては乱暴ものの邪派の面々。
一方、あくまで邪派は邪派、交わりをもった令狐冲も魔に染まるのだ、と弾劾する正派の人間。
別の思惑もからみ、「邪派を滅ぼし、江湖を正派で統一する」という野望に燃える。
そうして、令狐冲を陥れ力を得ようとした末に、家族をも追い詰め自決させ、それすら嘆くこともなくなる「非人間的な人間」になっていき、結局正派とは争わぬつもりの令狐冲の怒りに火をつけてしまうのだが・・・・
ラストには、正派・恒山派の掌門の就任式、邪派鳳凰教の教主・藍鳳凰や、桃谷六仙も掌門の就任を祝い、一緒に仏に手を合わせる姿が。
まさにこれこそが、方証大師の願った通りの絵だったのではないかと。
この物語の主人公は令狐冲だけど、この物語で勝利したのは方証大師だなあ、と思いましたです。
物語はそれを読んだ誰かの心を動かすために書かれるものなのだと、俺は思います。
だから、このドラマを見た後の俺は「誰かがオウム信者だった過去」をあげつらって、「オウムはオウム、いつまでもその罪はなくならない」なんてことは思わない。誰かの尻馬に乗って誹謗中傷する恥知らずなこともしない。
それと、人は変わって当然、変っていかなければならないものだ、とも思う。
ストーリーのはじめで儀琳を襲った卑劣な輩だったのに、主人公と出会って改心し、儀琳を命がけで守って死んだ田伯光みたいに。
一昔前の俺だったら、仏教徒として仏教を騙ったオウムは許せない、と「麻原を信じたやつは仏教を知らないバカなやつらだ」と言っていたのですが、今はどうしてオウムのような偽宗教を信じる気になったのかわけを知りたい。昔偽宗教を信じていたからと言って、その人の心まで偽物になったわけではない。
「正か悪かは、心が決めるもの、令狐冲は心が江湖一なのだ。」(方証大師)
南無阿弥陀仏。