2年くらい前から、小学校低学年の女の子の持ち物に水色のものが多くなっていた。少し前だと、ピンクや赤色のものが多かったので、なぜだろうと思っていたら、彼女たちの母親の一人が「シナモンが流行ったからじゃないか」と言った。


「シナモン」というのは、「シナモロール」というサンリオの子犬のキャラクターで、シナモンのほとんどのキャラクター商品が水色を基調としたパステルカラーに彩られている。

いいおっさんがこんなことをいうのもアレだが、ほんわかとした色調でとてもかわいらしい。

バンダイ
シナモンロール あみぐるみショップ

成城トランスカレッジ! さん経由で「男は本当にメカメカしいものが好きなのか」という記事を見たのだが、この部分にとても違和感を覚えた。


 なぜならば、小学校で性差別根絶教育を叩き込まれた子供達が、ティーンエイジャーに成長するからだ。まさにそういう子供を持つ筆者の目からすると、一時はこの教育法に対して行きすぎを感じたほどだ。それはもはや性差別を無くすというよりも、性差そのものを無くすかのような指導も見受けられたからである。

 さすがにそこまで行くのは問題アリとして、最近は指導が緩やかになってきているが、この学校教育の影響というのは、将来の消費者像に大きな影響を及ぼすであろう。

 例えば筆者の娘などは、赤やピンクといった色に対して、極端な嫌悪感を示す。気持ち悪い、と言うのである。従って選ぶ服やカバンなどは、旧来であれば男の子にあてがわれていたような青・グレー系がほとんどだ。遊びに来る同級生も、似たり寄ったりである。


学校教育で少年少女の好む色が教唆できるのならシナモンはジェンダーフリー教育の送り込んだサンリオの刺客か?

正直、シナモンをはじめとした、サンリオの「かわいらしい」「いかにも女の子が好みそうな」寒色系の商品に「性差そのものを無くすかのような指導によって好まれたジェンダーレス嗜好」というものは一切感じられないのだが。

それは記事内で取り上げられた「ナルミヤ」の服も同様だろう。

ただ単に、それが流行で、そういった色を好む子供が増えただけだ。さらに、「女の子なんだから水色はダメだ」という先入観を押し付ける強権的な親も現在少なくなってきているからではないだろうか。

(俺はこれを子供の主体性に任せる「いいことだ」と思っていたのだが、もしかして親のほうは不満タラタラで、「自分たちの子供が親が薦める『男らしい・女らしい』色を選ばなくなったのは教育のせい」だとしたいのであろうか。学校に言われたらみんなジェンダーフリーな色を選ぶほど強力な「洗脳」というものを施されていると思っているのだろうか。ぬぬん。)

ただの色の好みを、「親」である「筆者」がこういう「赤やピンクを気持ち悪いという、性差そのものを無くすための指導を受けた子供」といった異質なイメージに重ね合わせたのでは、子供たちが気の毒に思えてくるのだ。


それはこの本で「自分たちが正しい子育てをしたということを示すためには、子供が治らない精神の病だと主張することを厭わない親」と軽度ではあるが同様のものであるように思われる。

M.スコット ペック, M.Scott Peck, 森 英明
平気でうそをつく人たち―虚偽と邪悪の心理学

まあ、冒頭の母親が語るには、シナモンも「そろそろ終わり」だそうなので、次はどの色が流行るか知らないが、安易に「性差をなくす教育で色の好みまで性差を無くすように仕組まれた子供たちの嗜好」によって選ばれたなど主張されることがないように祈るばかりである。