今上天皇のお誕生日にご尊父の昭和天皇のことを。
俺は昭和天皇を尊敬している。
海軍兵学校出身の祖父から「戦争を止めさせた」立派な人物として刷り込みされた。
ネット上でよくしていただいている方の中にも陛下の「戦争責任」を問う人もいるが、戦争の大義名分として利用され、戦後も象徴として天皇を慕う国民の心の支えとなった。戦争中は愛国衷心の高揚のため、戦後はぼろぼろになった国体の誇りの残滓として、「多数の」「日本人」自身が、陛下を「利用し」続けたのだと思っている。
戦後すぐ自殺を思ったが「陛下の言葉で思いとどまった」人々もいると聞くし、そういった当時の民衆を支えた思慕の情を思うと無下に陛下が戦後も天皇としてあったことを否定できない。
八月二十四日
◯電灯の笠を元どおりに直す。防空遮蔽笠(ボール紙製)を取除き、元のようなシェードに改めた。家の中が明るくなった。明るくなったことが悲しい。しかし光の下にしばらく座っていると、「即時灯火管制を廃して、街を明るくせよ」といわれた天皇のお言葉が、つよく心にしみてきて、涙をおさえかねた。
海野十三敗戦日記(青空文庫より)
祖父が「天皇陛下は立派な人」と偉大さを強調したのに対して、小さいころの俺の目に映った昭和天皇はいつも穏やかで腰の低い、「どことなく寂しそうな人」だった。テレビの映像でみるとそう感じていた。
中学にあがり、書道の先生(練習の紙に「赤旗」がいつも使われていたので左翼だったのかもしれない)が「天皇というのはかわいそうなんだ、君たちのように好きな職業が選べない」と言ったことが記憶に残っている。そのころ親が病中でクソ貧乏人だった俺は、「職業選択ができなくても安定した暮らしができてみんなから尊敬される地位にあるのだから充分幸福であろう」と思い、もっと不敬な友人は、「天皇制は税金の無駄遣いだからやめたほうがいい」と言った。そのころはそんな考えの人間のほうが俺の周りには多かった。
父が買っていたある科学誌を小学校高学年から中学3年まで読んでいた。そこで荒俣宏氏がたびたび、日本の博物学と著名人の話を「大東亜科学奇譚」といった連載で書いていたのだが、そういった流れで昭和天皇のことも書かれた。
(よく使われる写真)
その記事の中の写真の陛下はいつも俺が「寂しげな」ように感じたものではなく、内に秘めた情熱を感じる、本当に「うれしそうな」表情やしぐさだった。
俺は海に短パンでつかってヒドロの採集をしたり、熱心にビーカーの中を覗き込む陛下の写真を見て、「ああ、陛下は本当はこういうことをずっとやっていたいんじゃないだろうか。」と思った。
もちろん、自然科学で生計を立てることがいかに難しく、天皇という地位があってこそ続けられた研究であったかもしれないということは思うが、それでも、陛下は「象徴」として国民にあがめられ持ち上げられることより、研究をしたかったんじゃないだろうか・・・と思ったのだ。
その記事が書かれた2ヵ月後の1月7日、昭和天皇崩御。
追悼の記事が書かれ、改めて陛下の波乱の生涯と、秘めた情熱を思った。
祖父の世代の昭和天皇への思いを考えると、天皇制が存続してよかった、とは考えているが、それは陛下を天皇という地位にしばりつけることではなかったのだろうか。陛下は本当にやりたいことがあったのに、日本と言う国のために自己を犠牲にされた、日本人のために、と負い目を感じる。
だから、最近マスコミや政治家がいかにも親切さや寛大さを装って「女帝容認論」を出すと、「女性に平等」というのを示したいだけのようで胡散臭く思う。
左派の女帝容認にも同様だ。「自分は天皇制に寛大だ」といったポーズに見えてしまう。
皇太子殿下はわが子を天皇に、とお考えかも知れないが、愛子内親王が長じてほかの職業に就きたいと願ったとき、「あなたが天皇になるために制度を変えましたよ」などと言われたら余計なお世話だと感じたりはしないだろうか。
当人の希望や人権などそっちのけで、制度の問題で自分たちの愛国心や衷心を表出することを押し付けるのでは、戦前と変わりなく「天皇は利用され続けている」のだな、と思う。
(無学ゆえ言葉遣いの不備が多々あると思うがご指摘くださると有難い。)
「私たちが日本国天皇に『中国高等植物図鑑』を贈呈できますことをたいへんうれしく思います。天皇は著名な植物学者で、天皇が創立された天皇植物学奨(国際生物学賞)は、生物学の発展に対して重要な意義のあるものと思います。
私は過去のことは過去のことで、いまさら話さないほうがいいと思います。(註:陳氏は両親を日中戦争で亡くしている。)中日両国人民は仲良く、前途に目を向けて進むべきだと思います。私の考えでは日本の中国侵略戦争の責任は日本軍閥の軍国主義にあり、けっして天皇や日本人民にはありません。私たちは遠大な前途を見つめて、世世代代友好の道を進むべきであると思います。
私たちは、今回、一介の植物学者の身分をもって、植物学者の天皇に中国の植物学書を贈呈するのであります。それは両国の発展と友好に有意義であると思います。」
(中国科学院植物研究所陳教授談)
私は、植物を
好んで観察する
そのせいかもしれないが、
その名前
(雑草という名前)は少し
侮蔑的な感じがして、
どうも好まれないのです。
(昭和59年 葉山御用邸にて)