~~無罪とかいうタイトルが流行って(?)いるようなのでまねしてみる。
よこちょのプロフィールにも書いてあるとおり、doxはガチなXbox信者(自己申告)で、もちろん13日に発表された次世代Xbox、Xbox360も発売日に購入予定である。
13日の公式発表があるまで、名称や外形はある程度ネット上などに流出していたが、「不確定情報」としてのことだった。(まあ、或る程度宣伝になったんであろうが、いざ本当だったら意外にがっかりしてしまうものである。)
ところが、5日に収録されたMTV特番に出演していた人物で、正式名称とかを13日の公式発表に先駆けて(?)ネットで流出してしまった人物がいる。
ウタダだ。
Xbox360情報流出の“犯人”は宇多田だった (Yahoo News)
しかも、ウタダは以前から任天堂とかの宣伝に出ていて、こっちにも「任天堂さん、ごめんなさい 」とか言っている。
まー、タレントなんて、ゆうこりんが「鉄騎」のイベントに出た後で、PS2のゲームの声優をやってイベントにでるみたいな感じで、ハードメーカーにとってはイメージを利用するだけに過ぎない存在なんだろうが、
MSも任天堂も「まいっか」みたいので済ましていて、ウタダの「才能のある天真爛漫な自分像」やら「才能のあるウタダに文句を言うかというファン感情」に阿っているように見えるのが癪に障る(笑
なんだか、日本では「歌唱力」とかいうのが過大評価されているような気がする。
凡庸な歌詞を陶酔しきった感じで朗々と歌い上げるのとか、森山直太郎の「そーーけんび ちゃ」やら、ナンシー関さんが昔書いていた「だめえぇえじうおーなーくそぉおうおう」でなんか胸糞が悪いのは、
そういう「日本で絶対視されている歌唱力」によって「ホラホラ俺(私)ってすごいだろ」的なおごりを感じるからだ。
「歌唱力=感動」という安易な構図が出来上がってしまっていると思う。
俺は中学生のとき、「NO WOMAN, NO CRY」を聞いて初めて歌を聴いて涙がでるほど感動した。
ボブ・マーリーの名前も知らず、歌詞もろくすっぽ分からなかったのだが、後にも先にもあんなに歌で感動したことはない。しかし、いろいろボブ・マーリーについて調べたり、CDを買い集めてライナーノーツを見るようになっても、未だかつて「ボブ・マーリーは歌唱力がある」という話を聞いたことがない。(もしかして当然のことで俺が耳にする機会がなかっただけかもしれないが)
俺自身も、ボブ・マーリーを「この人歌唱力があってすげえなあ」という点で聞いてはいない。
歌唱力と感動は直結しないのだ。
(歌唱力関係の記事は「アホマスコミ」で書いていることが多いので、これもそれに合わせたカテゴリになっています)
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