前に書いた「軍オタ反戦ノススメ 」で取り上げたコンバット・コミックでも、フランス外人部隊にいた人の原作のマンガやエッセイが載せられていたりした。「フランス外人部隊」というのは「戦争しない」自衛隊の日本の軍オタにとってかなり憧れの位置であると思う。
今回イラクで人質になった人物の経歴が、自衛隊に2年、フランス外人部隊に20年と異色の(軍オタから見れば、「憧れの、でもベタな」ではあるのだが)経歴ということもあり、他の反戦運動家の態度を見て歩くに「共感できる人物ではない」とか「あまりに異色な経歴なので実感を持てない」といって、「解放を求めるに乗り気でない」ものだったのだが、
こういった「海外に戦場を求めている」タイプの人物というのは、自衛隊が米軍の指揮下にあって情けないとか、実際に戦闘行為のできない自衛隊に苛立ちを持っていたとか、
真逆のベクトルであっても日本の軍事のありかたや、日本政府の方針について不満を持っている人である確率がかなり高いと思う。
さらにフランス外人部隊にいたということは、日本人であることを自意識の中で捨てていた(「外人部隊こそ祖国(レジオ・パトリア・ノストラ)」という言葉もあるし)可能性も或る。
しかし、たとえ日本を捨てたという人物であっても、「日本人であるから」と拘束されたのは、
日本政府が自衛隊をイラクに派遣したという「アメリカに対する協力」に対しての見せしめだろう。
俺は「こういう人物であるから」と政府側が思想信条や経歴で個人を差別して救出を渋ったり、「自己責任」などという言葉で自分たちに突きつけられた選択を言い逃れすることはどういう場合であっても、許されることではないと思う。だから、先の人質事件で武装勢力側に解放を要求したのと同様にはできない(斉藤さんは高遠さんたちのように「武装しない民間人」であったり「イラクのために慈善活動をしていた」人でもないから)が、政府の全力での救出活動を要求し、自分でできることを模索することには変わりはない。
「強い人は弱い人を守る、だけど・・・ 」のほうでも書いたが、重症を負われていると伝えられる同朋のために動かずして何が「日本人」だというのだ。
日本政府が「非戦闘地域」というウソで塗り固めた派遣を続けられるのも、斉藤さんたちのような「傭兵」が米軍や自衛隊の代わりに最前線で戦っていて、後方でなんとか被害を受けずにいられるからではないか?
ここに「自己責任」という政府にとって二重の欺瞞を受け入れ、反戦家の人たちまでが騙されて斉藤さんの救出を望まないという構図には違和感を覚える。
死ぬのはやつらださんの「人殺しで生活していたんだから、殺されるのもしゃあないべ 」にトラックバックを送るが、細部を曲解したり自分の相手像を押し付けたりする人より、自分は氏の反語で語るスタイルを理解しているつもりなので、反意を述べるつもりのトラックバックではないことを、ここに明記しておく。