TBのやり方も勉強できない人から常々「勉強してください」とか言われていたのだが、靖国合祀の件でものすごい意見を吐いていた。


現在の日本は戦前のような体質ではないのですからね。 ただ、実際問題まだそういうシステムにはなってないらしいので、これから自衛官等になろうという方は、靖国に祀られてもいいという覚悟でなってもらいたいものです。

個人的には、「靖国に祀られたくない」と考えるような人には、自衛官にはなってもらいたくないのが本音ですが・・・


信教の自由、職業選択の自由、どちらにも反し、しかも前文で「日本は戦前の体質にない」としておきながら、それを覆す戦前の軍部を髣髴とさせる「個人的」なご意見、到底戦時の苦労を乗り越えた方々が苦労して作り上げた近代国家に安穏と住む人間とは思えない思考回路だ。


こういう人がよく「祖父母・父母を愚弄する」といった錦の御旗を掲げて他人を「左巻き」と決めつけ呼びながら「自分は右翼ではない」という論法になるのだが、右翼ではないのは当然。

天皇陛下・皇室ご一家に対する尊敬心が微塵も感じられない。


「道民」氏が「A級戦犯合祀」や「総理参拝」を支持しておきながら、

「天皇のために」戦死した御霊のための一宗教の招魂機関である靖国にたいする昭和・今上天皇両陛下のA級戦犯合祀に対する不快を示されたことに際して

それに象徴だから何?いつから日本は天皇親政の国になったのですか?なぜ1人の天皇が日本の宗教観を規定できるんですか?天皇が出来るのは
「内閣の助言と承認による国事行為のみ」ですよ。

と不敬に切り捨てたのと同様である。(こういうときだけ普段ないがしろにしている憲法を持ち出すのだな。)


旧軍部が天皇陛下の名前を盾に人心を利用したのと同じ手法で、

「祖父母・父母の代」を「左巻きは思想を優先して愚弄している」と嘯く悪辣さ。


こういった方々が戦時の苦労を負った「祖父母・父母」の代に、持論のために利用する以外に本当に実感を持って語るものがあるか?というと非常に疑問。

例えばkamakazuさんのお父上はベーリング海で拿捕され、ウラジオストックに曳航された。

nanayaさんのお祖父さんはソ連に抑留され、戦後になってやっと帰ってきた。

祖父から聞いた話
「おれは左官の技術をもっていたから現地では重宝がられ、大事にされた。」
「向こうでしか食べられないおいしいものを食べさせてもらった。」「木になったまま熟れきったりんごはうまかったなぁ」

(nanayaさんの「左官の祖父」より)


自分に関しては「特攻崩れ」の海軍兵学校出身の祖父から陸軍と当時の日本政府を悪者にした太平洋戦史観と、天皇に対する尊敬を植えつけられたのは何度も書いているとおり。


「祖父母・父母の代」を声高に掲げる人に限って、自らの具体的な祖父母・父母が書けていない、実態が見えない「ただのお題目」になっているのである。


また、靖国を信奉するような振りをして戦死者の意向を曲げ、自分の想像の中の「祖父母・父母の代」のイメージや、戦犯の立場を騙る人たちはこういったサイトが存在するのをご存知なのだろうか?


季刊「中帰連」WebSite

 私たちは、先の日中15年戦争の間、日本軍国主義の積極的な手先となって数多くの非人道的な罪を犯し、敗戦後、中国の「撫順戦犯管理所」(969名)と「太原戦犯管理所」(140名)とに、戦犯として拘留されました。

 中国の戦犯管理所では強制労働がないばかりか、有り余る時間が私たち戦犯に与えられました。中国政府の戦犯にたいする方針は「戦犯とても人間である。その人格を尊重せよ」という人道主義の政策であり、管理所の全工作員も個人の恨みを超えて、この政策を忠実に実行されました。工作員たちは、日々コウリャン飯を食べながら、戦犯には白米飯と豊かな副食を精一杯調え、罵る戦犯には笑顔で応え、病人には高価な貴重薬を惜しげもなく投与しました。その他、衛生・運動・文化・学習などすべてに好い条件を保証されました。
(中略)

私たちは、常にこの認罪の立場に立ちながら、二度と日本に侵略戦争への道を許さず、同時に日中友好、ひいては世界の平和に、いささかでも貢献出来ればと考え、残り少ない人生を共に手を携えて活動しております。

(「中国帰還者連絡会とは?」より)


先日くれあさんから紹介してもらったこちらのサイト。

A級戦犯合祀は自らやめるべきである  (nozomu.net-吉田望事務所-)

本論の趣旨

私はA級戦犯の合祀(ごうし)は、わが国が自ら改めるべしと考えます。それは他国に指摘されるまでもなく、わが国の本来あるべき姿、そして自国の歴史とどう真摯(しんし)に向き合うか、を考えればおのずと明らかになることだと考えます。A級戦犯合祀は、戦後に起こった第二の「統帥権違反」でした。そこには無責任・無自覚から来る保守主義からの逸脱、不明朗な動機とプロセスがあります。過去、政治家がその判断を避けてきたことがまことに遺憾です。私たち日本人が今直視すべき問題として、発言させていただきます。


この方のような「旧陸軍関係者の前で講演」されるような方にも、なべて「左巻き」と批判し、戦前の全体主義思想に帰ることが戦死者に報いるような欺瞞を述べられるのだろうか。

「左巻き批判」で悦にいっているような人間から「ただただお祈りする」とされても、祈られるほうが当惑するだけではないだろうか。

こういった「A級戦犯合祀に反対するのは祖父母・父母を愚弄する」といった人たちはまるで判で押したように、他の東アジア諸国に対する差別感情をブログに並べられていることが多いため、自らの差別感情を満たす持論のために靖国・戦時の国民を利用しているだけではないか、という印象はぬぐえない。