かつて日本の軍オタ(ミリオタ)というものは反戦に寛容でありました。

例えば、兄(現自衛官)が15年ほど前購入していた「コンバット・コミック」というミリタリーものを扱った漫画誌(現在休刊中)には、戦争バンザイなマンガは一個も載っておらず、民間人が巻き込まれる戦争の悲惨さ、戦争で死んでいく兵士の無念さが存分に描かれていました。

同時に、執筆人の中には第二次太平洋戦時の流行歌・文化などに懐古を抱く方も多数いて、兵器や兵士を語るのと同様に、反戦歌「リリー・マルレーン」が作品の中によく用いられ、それを歌うマレーネ・ディートリッヒに恋人に対するような思慕をこめて取り上げていました。


当時の軍オタには、「戦争」とは軍人同士が知略を駆使して戦うものであり、民間人を巻き込むことは恥とされていたのです。


また、思想を問わず武器を持たない弱者を守ることは「軍人」として当然のこととされていました。

発展途上国の支援に行っている反戦家の女性を「軍人は人殺し」とののしられながら、彼女を守る任務を淡々とこなす特殊部隊の映画がありましたが、この部隊が「このプロ市民野郎」「お前に国民の税金を使うのはもったいないからここで死ね」などと言い出したら、軍人失格なのです。

軍人は市民の安全をその人間の思想信条を問わず淡々と守る。


ところが、最近のミリオタにはそのような「軍人としての信条」が感じられない。

最新兵器や理論上の戦略ばかりを言い募り、将官か一国の最高責任者の立場にでも立ったようなつもりで、イラク戦争の民間人の犠牲者も「戦争ならば当然」と擁護する始末。

あげくの果てにはサバゲーと現実の戦争を混同する平和ボケ も「軍オタ」を名乗る。嘆かわしい。


悲惨なことが好きならミリオタでなくホラー・スプラッタムービーのオタクにでもなるがよかろう。

所詮民間人の犠牲を嘆くでもなく「当然」としてしまえるのは「軍人」としての気概を理解する気持ちのない人間です。兵器・戦略理論オタとでも名乗ればよい。


軍オタは民間人を殺してしまう立場の最前線の兵士の身を案じ、民間人の犠牲を偽善で言い逃れをする政治屋の欺瞞で死んでいく兵士のために、イラク戦争に反対を唱えるべきなのであります。



追加:

ここらへん  で現役自衛官さんに 自分のお仲間の平和運動家のみなさんが「命令次第で自国民を殺すこともあるのではないか」と疑念を寄せて対話がこじれてしまったのだが、自衛隊がどうでるかは日本国民の持っていきようでしかないと思う。


ちょうどいい事例を阿修羅掲示板で仕入れたので参考に。


自衛隊、治安出動拒否

岸首相は治安回復を急ぎ、政権を維持するため、6月15日と6月18日、赤城宗徳防衛庁長官に自衛隊の治安出動を要請した。しかし、赤城防衛庁長官は、自衛隊によるデモ隊鎮圧の要請を拒否した。

治安出動拒否の理由は、アメリカ側からは、すでに6月13日にアイゼンハワー大統領の訪日中止の秘密連絡があり、その後の岸首相の自衛隊出動要請は、岸内閣の延命のために過ぎなかったからである。
赤城防衛庁長官は、岸信介の政権延命のために自衛隊が使われることを拒否した。また、赤城防衛庁長官は、岸信介がすでにアメリカに見捨てられたことを知っていたのであった。


アメリカが岸信介を見放した理由は、次の理由からである。
①岸信介は太平洋戦争指導者としての戦犯であった。
②議会運営や大衆運動が非民主的であった。
③安保改定が終わり、岸信介の役割は終了した。
④長期政権は、さらに非民主的独裁的になる可能性がある。
⑤6月10日米大統領秘書官ハガチーが、羽田でデモ隊に包囲された。

もっとも、他国の民間人の意思表示としてのデモを、政府が弾圧することで喜んでしまう今の日本の民意の低さでは、こういった出動拒否が行われるとも限らないが。

(それにしても俺の嫌いな国賊“北朝鮮”ペテン師安部晋三の祖父・岸信介もやはり自分のために自衛隊を利用しようとした汚いやつだったんだな。利己主義の伝承か。)