今日の昼休み時間中、非常に不快な記者会見を見た。
尼崎の脱線事故でJR西日本天王寺管内の社員が懇親会でボーリングに行っていたということの釈明会見のようだったが、質問する記者の口調が、「義憤にかられて謝罪を要求する」詰問調で、到底事実を客観的に伝え究明しようとするジャーナリズムに欠けるものだった。
尼崎脱線事故:
ボウリング問題 13人は重大性認識で出席(MSN-Mainichi interactive)
JR西日本天王寺車掌区(大阪市天王寺区)の社員が福知山線脱線事故発生の約3時間後、懇親目的のボウリング大会を開いていた問題で、同社は5日、参加した43人のうち13人は、事故の重大性を認識しながら出席したことを明らかにした。
同社の会見によると、13人はテレビや知人らからのメールなどから、事故で死傷者が出ていることを知った。しかし「まずいと思ったが、目上の人に物を言いづらかった」などと上司にボウリングの中止を求めなかったという。「自分がしたことを恥じている」と釈明する社員もいるという。
ボウリング大会に参加した社員は事故当日の先月25日午後0時半に集合し、同1時から約1時間、2ゲームを行った。区長ら4人は終了後、車掌区に戻ったが、22人は居酒屋で飲食。さらに、うち12人がすし店の2次会に参加、2人はその後、焼き肉店に行っていた。
区長はボウリング場に行く前に車掌区に寄り、新大阪総合指令所からの一斉放送で事故を知ったが、その重大性を認識していなかったという。
毎日新聞 2005年5月5日 18時32分
JR西日本の社員であれば事故が起こったら、即座に余暇の部分もすべて一挙手一投足まで社にささげ、事故の対応にかからなければならなかったと言うのか?
自分たちがその立場だったときすべての社員がそうできると断言できるのか?
バカバカしいにもほどが或る。
自殺にでも追い込めば「そんなことするなんてバカだ」と言いながらマスコミは収縮するだろうが、そこまで追い込めば真実が闇から闇へ葬られるのは目に見えている。
阿修羅掲示板には事故車両の車掌の自殺を懸念するコメントがあった。
スピード出しすぎは伊丹駅以前から・・・・真実をにぎる車掌の命が危ない!奥さんがマスコミに接触したのは、SOSか?
なにも起こらなければ良いが、『自殺』を防止するためにも敢えて警告したい。
車掌に無事に真実を語らせることができるかどうかは、
警察やマスコミの責務である。
もし、車掌の身に何かが起こったら、
捜査当局もマスコミも、原因究明をしたくない意思表明だと思うほか無い。
正義感ぶって「視聴者の代弁」を気取る記者どもに、原因究明の手を遅らせてはならない。
知るべきことはもっとほかにあるはずだ。社員が休暇を何に使っているかなどどうでもいい、過密なスケジュールを負っていたらしい社員の個人責を問うような方向に持っていくのは避けるべきだ。
この手の追求を怠らないマスコミが、昨年の地震発生の際に映画鑑賞を続けた日本の最高責任者の動向を追わず、後に「全力を尽くす」といった記者会見のみ流していたのは象徴的であると思う。
今のマスコミは弱者をいたぶる俗情と結託しているのだ。
参考リンク
ボウリングの何が問題だ? (kojidoiの非公正ブログ )
確かに問題点を指摘して反省を迫ることは有意義だと思う。しかし、行きがけの駄賃で何でも糾弾すればいいと考えるのは馬鹿の所業だろう。批判は本質的な部分だけに集中するべきだ。ボウリングで人が死ぬか? 事故が誘発されるか? そんなはずはあるまい。件の報道からは、脈略もヘッタクレもなく、JRの関係者のくせに生意気だと、好機とばかりに「合法的に」いじめっ子の役を演じていい気になっている記者の思い上がりしか見えない。
報道の自由は生きる権利を上回るのか (浅井久仁臣 グラフィティ )
もちろん私もマスコミの現場を知る人間だから「空撮」の必要性が分かっていないわけではない。だから何度も言っているように、代表取材で済ますべきなのだ。何でこんな命に関わる取材で「良い絵」を欲しがるのか、自社の映像にこだわるのか、それは私にはマスコミの「ゴーマニズム」としか見えない。