かつて日本は戦後急速な技術・経済発展を遂げ、アジア各国から尊敬されてきました。
かつて日本は漫画やゲームなど独自の文化を発展させ、表現の自由の面でもアジアの中では先進国でした。
かつて日本人は「世界のどこにでもいる」と言われ、どの国に行っても政治的に命を狙われることなく、そして善意の日本人が代表として多数身を挺して、技術・産業などの面で他国に貢献してきたおかげで、「日本人」は善い民族だと思われてきました。
数年前、先の大戦の影響から日本はずいぶんイメージが悪いだろう、と思って東南アジアに出かけた折に、そこに出会った人たちが「あの敗戦から国を復興させ、経済大国となった日本はすごい」「日本製品はすばらしい、日本人は優秀だ」と口々に言ってくれ、自分はそんな日本に誇りを持っていました。
南米に行ったときには、「日本人ならいい、アメリカ人ならこうはいかない」と言われ危険を回避できたこともあり、自分が日本人であることに感謝したりもしました。
しかし、現在「戦前の日本」にどういった了見なのか誇りを持ち、こういった生き残った日本人が努力して作り上げた「戦後の日本」を貶める人たちによって、そういった日本に対する「善い」イメージがどんどん崩れています。
いまや「日本人」の中で、善意で他国のために動く日本人や、他国との交流を図り国際理解に努める日本人を「非国民」呼ばわりして、自国の中だけ威勢のいい差別主義を振り回す人間が増え、他国人から「得体の知れない不気味な存在」と思われています。
大部分の日本人が「日本は二度と戦争などしない」と思っているのにも関わらず、他国にその姿勢を示さず、理解を求めることをしないで一方的に他国からは「軍隊」としか見られない、本来は国防のために働く自衛隊を他国に送り、「善いことをしているのだから」と自分たちだけで納得してしまっていることで、他国からの不信を招いています。
そろそろ先の大戦のイメージを払拭し、未来に向かって他国との相互理解・発展をともに歩むという気持ちはあってもいいと思いますが、それを先の大戦を肯定し、教科書からの記述を減らすことによってよしとする欺瞞がはびこっています。
自分は愛国者として、これが本当に日本を発展させる道なのか問いたい。
「愛国心」を踏み絵にし、「南京虐殺を認めるのか、非国民が」などと言い、他のアジアの国と自国民をを差別し、そのくせ日本を、アメリカの犬と呼ばれる道をどうして歩めるのか、こんな矛盾を何故受け入れられるのか疑問です。
他の国の欠点をあげつらうことによって自国の問題から目をそらせている人たちにももう一度考え直していただきたい。今ならまだ間に合うかも知れません。自分の国の未来を担う子供たちに、これ以上の負担と社会不安を残し、後世から「無能首相を持ち上げ、後世に禍根を残した恥ずべき世代」と記憶されないよう、再度進むべき道を問い直す時期だと思います。
最後に、政治的立場は違うが、共感した家永三郎氏の言葉を掲げます。
『戦争前、私は学校の若い教師でした。あのとき、みんなはおかしいと思いました。でも、誰もそのとき、勇気をもたなかった。私一人でもあの大事なときに少しでも何かすればよかった。何もしなかったおかげで、大変悲惨な戦争がおこりました。裁判が負けつづけても、ぼくが死ぬまで、あのとき何も出来なかったことに対しての自分の罪は消えません。まだできることがありますので、他人の責任としないで自分たちの責任としてやりましょう。』