このエントリーに「プロ奴隷のモンタキンテです」さんからトラックバックを戴き再度考えた。
この人に関してはすでに「ブキミ」な様相をしめして、なんだか関わりにならないほうがいいような「禁忌」のような気がするのだが
(偶然かどうか分からないが、この人にいつかれるとブログ主は消耗して、エントリーをしばらく休む傾向にあるようだ。)
俺が「ブキミ」と感じる点を明らかにしておかないとなんだか寝覚が悪いような気がするので、箇条書きにする。
1、「自分は○○だからと宣言することで、自分の意見は信頼されるはずとの思い込み」
例
「 斎場や病院に行けば、いくらでも「死」というものを意識させられます。医者ではありませんが、それを考えさせられる仕事に就いていますので。」
「これでも学生時代は薬害エイズの集会に行ったりしてました。だから、被害者の気持ちに立って共感したりするのは、分からないわけではありません。 」
「僕は出来る限り知っていた方が安心できる性質なようです。人格的な資質が違うということなんでしょう。
もちろん、それに善し悪しの差はありません。 」
まーどんなことやってようが「日本軍は悪くない」と他人のブログで主張を繰り返す人ならそれだけかと。医者だろうがどんな職業だろうが、人の命を真摯に考えられない人間はいますからね(笑
「善し悪しの差がない」にも関わらず、自分が「事実を知ろうと思っていない」と決め付けた相手には「問題に無理に触れない方がいいでしょう。 」だそうですよ、この人(笑
2、他人がやると非難することも、自分に限っては除外されている。
例
「 南京ではありませんが、支那に派遣された方々の話なら何人かにうかがっています。皆様「南京大虐殺なんてない」と主張していた。前提知識が無かった頃は軽く聞き流していたが、従軍慰安婦関連をきっかけに調べだしたらあの方々の述べていた事の方が整合性があると解ってきた。
そして「ある」と主張される方々は、ここの展開のように極めて感情的でした。僕は何も知らずに「虐殺者たち」と思いこんでいた自分の不明を許せないし、彼らに汚名を着せて「善人」と名乗る人達の偽善も許せないのです。 」
後で4、で書かれたコメントを御覧あれ。他人が実際に聞いた「証言者」の「自慢話」は「事実ではない」というのに、自分が「感情的」と印象を受けただけで、偽善者に仕立て上げているのはどういうことなんでしょう(笑
その場にいなかった人の証言を取り上げるなら、「中越地震はたいした被害じゃなかった」っていうことも出来ますねえ。
人に「物理的事実」「検証、検証」と強要する この人の「なかった」とする根拠が「印象」だったことに笑えます。
3、好きな言葉らしく、何度も同じ言葉を鉤括弧つきで繰り返す。
例
「物理的事実」(がどこにあるかは明確でないが、この人の内部に存在するらしい(笑))
「感情的」 (論争相手に、どこが感情的という指摘でなく「あなたは・感情的」=「論理的でない意見は取らない」といった独断と偏見がともなって書かれる。)
「情報戦」(自分はこれに長けているとでも言わんばかりだが。)
「論理的」(自分を指してこういう場合が多い)
「偏狭なナショナリズム」(本当は「日本人を悪者にするのはヨクナイんだー!」と主張するこの人が言われるべきことだと思うんだけど(笑)、他人に言い返すことによって何らかの精神的浄化作用を図っていると思われる)
自分の言葉に酔って思考停止。
自縄自縛ってやつですか?
4、「事実を知りたいだけだ」といいながら、他人が提供する資料を「偏っている」と切り捨てる。(そして、自分の見解は「思いっきり偏っている」ほうに寄っている(笑))
例
「自慢話がそのまま真実であるとは限りません。だから検証が必要であると再三述べています。伝聞や直感だけで裁判が決められてはかなわないのと同様です。」
「厳密に指摘すれば、南京事件の証言者ではありません。生活の範囲で中国戦線参加者が多かったので、そういった方々から「南京事件」についての見解を聞いてきました。それらと史料を調べた上での結論です。」
この人が「自分が知ってることが『物理的事実』という根拠」を示せとコメントしたのだが、回答はない(笑)
5、自分が言われてもやりもしないことを、他人にそうする権利もないのに「やれやれ」としつこく何度も強要する
例
「そんなに難しい事を要求している訳ではないのです。こちらとしては、あなたに同調する方々の知識レベルを計るための材料とするつもりなので、よろしくお願いします。 」
「 ご自分の政治論を出してみてください。 」
「 答えたくないならそれでも構いません。その場合「死ぬのは」さんはそういうお考えを持たない方だと解釈させていただきます。 」
思い当たるのだが俺から「『人殺しを正当化する人間の意見』のサンプルを提出していただきありがとうございます 」と言われてからこういう論調になったのだ。悔しくて他人に八つ当たり?(笑)
6、他人を「こうだ」と決めつけ、そこから一向に脱却しないどころか、自分の妄想の中でどんどん歪曲化していく
「 たとえば……
『何をおいても日中友好は優先させなくてはならない。仮に不明瞭な事件であっても、とりあえず日本が悪い事にして中国側に合わせる努力をしよう。仮に自分が中国旅行に行って事実無根の婦女暴行などで公安に逮捕されたとしても、日本政府は守ってくれなくていい。友人親類もかばわないでくれ。俺を強姦魔という事にしててくれ。あの時は酔っぱらっていたし、あったかもしれないから、きっとあったに違いないのだ。
国際間の友好関係を維持する為には、一人の犠牲などたやすい事。日中友好の礎となるつもりだ』
こういう方向性の主張なら、一応理解できます。同じように振る舞えと言われても嫌ですけれどね。 」
俺もあなたの妄想と同じように振舞えと強要されるのは真っ平ゴメン。
「この会話テクニックのポイントは「仕事とあたしとどちらが大事なの?(例文)」のように、本来比較しようもない事柄を自分との「関係性」を武器にして訴える点にある。
男性はあまり使わないやり方なんだけど、地球人さんは女性の方なんでしょうか? 違っていたら失礼。
この会話のやっかいな所は、当人は『自分の正しい意見にみんな納得してくれたのだ』と勘違いしている点ですね。 」
いや、すごい。この妄想の暴走。
こういう差別偏見を平気で言う人と「男だから」と一緒くたにされたくないですね。まいったなあ(笑
6、他人に望まれてもいないのに、「この件に関してエントリーを書く」と宣言する
例
「話題がエントリーからズレてしまうので、うしさんがお望みなら僕のところでお話しましょう。いかがですか? 」
「イラク関連については、自分のところで近いうちに書きます。ではまたそのうちに……。 」
自己顕示欲の発露か?
7、他人のブログでゲストに対して「教えてクン」「ハシャギクン」をやる。
例
「ちなみに、「南京戦史」の偕行社資料から「南京はあった」と発言しているのは、本多勝一ではなかったかと思います。「中国の旅」か「南京への道」のいずれかにそんな一文があったはずです。
他に有力な資料があれば、教えていただけませんか? 」
「うしさんだ、わーい
clawさんやbarbaroidさんの所でお話して以来ですね(^_^)。
確か二つか三つくらい質問をして、答えていただけてなかった気がするのですが……、忙しいからお忘れになったのかもしれませんね。 」
いや、この点については俺がキショイというだけで特に悪いというわけではないのですが(笑
だって、論争吹っかけてる相手のところでゲストに対してこういう懐柔するような態度取るやつって怪しくねえ?(笑
コピーしただけでもなんだか汚染された気がしてきた。おえっぷ。
これ、この人が自分のブログに書いたんでなく、俺のとことkamakazuさんのところに残されたコメントなんですよ。よく人のところでこんなに自分自慢できますね。しかも、本人に自覚がないらしい。品性がうかがわれます(笑
まー、よーっぽど親から全肯定されて育ったんでしょうね。
この方についての興味深い考察がされているブログさま発見いたしました(^^
出来事を脳内で「創作」する人のケース(1)
(十条より微々たる情報発信)
早速TB送らせていただきます。
この人に関してはすでに「ブキミ」な様相をしめして、なんだか関わりにならないほうがいいような「禁忌」のような気がするのだが
(偶然かどうか分からないが、この人にいつかれるとブログ主は消耗して、エントリーをしばらく休む傾向にあるようだ。)
俺が「ブキミ」と感じる点を明らかにしておかないとなんだか寝覚が悪いような気がするので、箇条書きにする。
1、「自分は○○だからと宣言することで、自分の意見は信頼されるはずとの思い込み」
例
「 斎場や病院に行けば、いくらでも「死」というものを意識させられます。医者ではありませんが、それを考えさせられる仕事に就いていますので。」
「これでも学生時代は薬害エイズの集会に行ったりしてました。だから、被害者の気持ちに立って共感したりするのは、分からないわけではありません。 」
「僕は出来る限り知っていた方が安心できる性質なようです。人格的な資質が違うということなんでしょう。
もちろん、それに善し悪しの差はありません。 」
まーどんなことやってようが「日本軍は悪くない」と他人のブログで主張を繰り返す人ならそれだけかと。医者だろうがどんな職業だろうが、人の命を真摯に考えられない人間はいますからね(笑
「善し悪しの差がない」にも関わらず、自分が「事実を知ろうと思っていない」と決め付けた相手には「問題に無理に触れない方がいいでしょう。 」だそうですよ、この人(笑
2、他人がやると非難することも、自分に限っては除外されている。
例
「 南京ではありませんが、支那に派遣された方々の話なら何人かにうかがっています。皆様「南京大虐殺なんてない」と主張していた。前提知識が無かった頃は軽く聞き流していたが、従軍慰安婦関連をきっかけに調べだしたらあの方々の述べていた事の方が整合性があると解ってきた。
そして「ある」と主張される方々は、ここの展開のように極めて感情的でした。僕は何も知らずに「虐殺者たち」と思いこんでいた自分の不明を許せないし、彼らに汚名を着せて「善人」と名乗る人達の偽善も許せないのです。 」
後で4、で書かれたコメントを御覧あれ。他人が実際に聞いた「証言者」の「自慢話」は「事実ではない」というのに、自分が「感情的」と印象を受けただけで、偽善者に仕立て上げているのはどういうことなんでしょう(笑
その場にいなかった人の証言を取り上げるなら、「中越地震はたいした被害じゃなかった」っていうことも出来ますねえ。
人に「物理的事実」「検証、検証」と強要する この人の「なかった」とする根拠が「印象」だったことに笑えます。
3、好きな言葉らしく、何度も同じ言葉を鉤括弧つきで繰り返す。
例
「物理的事実」(がどこにあるかは明確でないが、この人の内部に存在するらしい(笑))
「感情的」 (論争相手に、どこが感情的という指摘でなく「あなたは・感情的」=「論理的でない意見は取らない」といった独断と偏見がともなって書かれる。)
「情報戦」(自分はこれに長けているとでも言わんばかりだが。)
「論理的」(自分を指してこういう場合が多い)
「偏狭なナショナリズム」(本当は「日本人を悪者にするのはヨクナイんだー!」と主張するこの人が言われるべきことだと思うんだけど(笑)、他人に言い返すことによって何らかの精神的浄化作用を図っていると思われる)
自分の言葉に酔って思考停止。
自縄自縛ってやつですか?
4、「事実を知りたいだけだ」といいながら、他人が提供する資料を「偏っている」と切り捨てる。(そして、自分の見解は「思いっきり偏っている」ほうに寄っている(笑))
例
「自慢話がそのまま真実であるとは限りません。だから検証が必要であると再三述べています。伝聞や直感だけで裁判が決められてはかなわないのと同様です。」
「厳密に指摘すれば、南京事件の証言者ではありません。生活の範囲で中国戦線参加者が多かったので、そういった方々から「南京事件」についての見解を聞いてきました。それらと史料を調べた上での結論です。」
この人が「自分が知ってることが『物理的事実』という根拠」を示せとコメントしたのだが、回答はない(笑)
5、自分が言われてもやりもしないことを、他人にそうする権利もないのに「やれやれ」としつこく何度も強要する
例
「そんなに難しい事を要求している訳ではないのです。こちらとしては、あなたに同調する方々の知識レベルを計るための材料とするつもりなので、よろしくお願いします。 」
「 ご自分の政治論を出してみてください。 」
「 答えたくないならそれでも構いません。その場合「死ぬのは」さんはそういうお考えを持たない方だと解釈させていただきます。 」
思い当たるのだが俺から「『人殺しを正当化する人間の意見』のサンプルを提出していただきありがとうございます 」と言われてからこういう論調になったのだ。悔しくて他人に八つ当たり?(笑)
6、他人を「こうだ」と決めつけ、そこから一向に脱却しないどころか、自分の妄想の中でどんどん歪曲化していく
「 たとえば……
『何をおいても日中友好は優先させなくてはならない。仮に不明瞭な事件であっても、とりあえず日本が悪い事にして中国側に合わせる努力をしよう。仮に自分が中国旅行に行って事実無根の婦女暴行などで公安に逮捕されたとしても、日本政府は守ってくれなくていい。友人親類もかばわないでくれ。俺を強姦魔という事にしててくれ。あの時は酔っぱらっていたし、あったかもしれないから、きっとあったに違いないのだ。
国際間の友好関係を維持する為には、一人の犠牲などたやすい事。日中友好の礎となるつもりだ』
こういう方向性の主張なら、一応理解できます。同じように振る舞えと言われても嫌ですけれどね。 」
俺もあなたの妄想と同じように振舞えと強要されるのは真っ平ゴメン。
「この会話テクニックのポイントは「仕事とあたしとどちらが大事なの?(例文)」のように、本来比較しようもない事柄を自分との「関係性」を武器にして訴える点にある。
男性はあまり使わないやり方なんだけど、地球人さんは女性の方なんでしょうか? 違っていたら失礼。
この会話のやっかいな所は、当人は『自分の正しい意見にみんな納得してくれたのだ』と勘違いしている点ですね。 」
いや、すごい。この妄想の暴走。
こういう差別偏見を平気で言う人と「男だから」と一緒くたにされたくないですね。まいったなあ(笑
6、他人に望まれてもいないのに、「この件に関してエントリーを書く」と宣言する
例
「話題がエントリーからズレてしまうので、うしさんがお望みなら僕のところでお話しましょう。いかがですか? 」
「イラク関連については、自分のところで近いうちに書きます。ではまたそのうちに……。 」
自己顕示欲の発露か?
7、他人のブログでゲストに対して「教えてクン」「ハシャギクン」をやる。
例
「ちなみに、「南京戦史」の偕行社資料から「南京はあった」と発言しているのは、本多勝一ではなかったかと思います。「中国の旅」か「南京への道」のいずれかにそんな一文があったはずです。
他に有力な資料があれば、教えていただけませんか? 」
「うしさんだ、わーい
clawさんやbarbaroidさんの所でお話して以来ですね(^_^)。
確か二つか三つくらい質問をして、答えていただけてなかった気がするのですが……、忙しいからお忘れになったのかもしれませんね。 」
いや、この点については俺がキショイというだけで特に悪いというわけではないのですが(笑
だって、論争吹っかけてる相手のところでゲストに対してこういう懐柔するような態度取るやつって怪しくねえ?(笑
コピーしただけでもなんだか汚染された気がしてきた。おえっぷ。
これ、この人が自分のブログに書いたんでなく、俺のとことkamakazuさんのところに残されたコメントなんですよ。よく人のところでこんなに自分自慢できますね。しかも、本人に自覚がないらしい。品性がうかがわれます(笑
まー、よーっぽど親から全肯定されて育ったんでしょうね。
この方についての興味深い考察がされているブログさま発見いたしました(^^
出来事を脳内で「創作」する人のケース(1)
(十条より微々たる情報発信)
早速TB送らせていただきます。