
物事の正邪を自分の印象だけで決めてしまう人が増えた気がする。
イラク人質事件のとき、非難をあびたのは「家族の強硬な姿勢が悪かったから」
とか
菅直人が辞任したのは「最初に『未納3兄弟』とののしった態度が悪かったから」
とか。
拉致被害者家族が政府に抗議したことで、非難の電話が殺到したことはやはり「家族の態度が悪かったから」
実際に自分の家族が誘拐されてりゃなりふり構ってられないのは、人間の感情として当然(ここで平然としてられるのは家族に愛情を持っていない人なんでは?)だと思うし、菅直人は実際には社会保険庁のミスで「未納扱い」になったことが、社会保険庁から辞任した後で発表されたことも、そういった人には通じない。
すべては「その時点で自分に悪感情を持たせた彼ら・彼女らの責任」となって、被害者をあしざまに罵った自分を正当化するんである。過去に遡って誤解を反省することもない。
俺はこういう人たちを「権威主義、印象派」と呼ぼうと思う<勝手に。
「権威主義、印象派」の人たちはとにかく、政府や権力者に一般市民がモノを言う姿が大嫌いなのだ。
で、未納でなかった人に散々騒いでおいて、ウン年ウンヶ月も未納の総理大臣や、官房長官は「もう飽きた」と放置する。この人たちは自分の気さえすめば、ことの善し悪しはどうでもいいらしい。そのくせ、「自分は・常識人」と思い込んでいて、自分勝手な常識を振りかざし、「こういうのは・常識では考えられない」とか言い募って、人が殺されるのも「仕方ない」とものすごく非人道的なことを平気でほざいたりする。
権力者に対して、「庶民の命は見捨ててもいい・私は常識人です」と、自分の権利も無自覚に売り渡すと同時に、他人の命の権利までその権利もないのにあっさりと売り渡そうとする。「テロに屈すれば日本がバカにされる」と権威主義、印象派は戯言を繰り返すが、実際のところ、「自国民の命をなんとも思わない、あらたな専制政治を支持する思考停止集団」と他国から気味悪がられているのは、実は権威主義、印象派の人たちなのだ。
ああ、でも「権威主義、印象派」にはすでに適切な名前がついてたな。
プロ奴隷。