ALOHA KYOTO
ドワイルドな皆さんはご存知ですか?
小五郎や龍馬たちが開けたのは維新の扉だけではなかったってコトを^^
ハワイとの交流の扉もまた、江戸末期の奔流によって開け放たれたんだ。
大政奉還の7年前、勝海舟 を船長とする咸臨丸がハワイに寄港。
欧米列強以外の船が漕ぎ着けたのは初の出来事だったんだよね。
現地人たちは、アジアの小国の男たちが独力で蒸気船を操り太平洋を往復した事実にそりゃあ驚嘆したという。
ハワイ王朝が日本からの移民を熱望した背景には、この事件の影響が大きかったとも言われているんだよ。
やがて、維新直後からぞくぞくと移民した日本人たちは、持ち前の勤勉さでアイデンティティを築いていったワケだ。
彼らが祖国から持ち込んだ着物の美しさもまた、現地人の心を捉えていった。
ある時“カベ・クレープ”という縮緬の一種と思われる着物用生地をホノルルの東洋人が洋風に仕立て上げたんだ。
このシャツが爆発的な人気を博すまでには、そう長い時間はかからなかった…
そう、コレが日本着物の末裔ともいえる“アロハシャツ”の誕生だった♪
そして京都…元禄文化華やかな頃、人気絵師宮崎友禅斎が既成の着物柄の常識を覆す奔放かつ多彩な友禅染を創始した。
さらに20世紀初頭、型友禅と呼ばれるハンドプリント技法が開発される。
コレによって大量生産も可能になった友禅は、次々とゴージャスな柄生地をハワイに提供し、アロハシャツに魅せられたアメリカ人たちを虜にしていったんだよ。
情報伝達が未発達な当時、デザインのモチーフとしてたくさんの絵ハガキがハワイから日本へ送られたという。
椰子の木やフラダンスなどの絵柄が染められた生地が清涼な鴨川や桂川で悠然と“友禅流し”される…そんな光景を想像するだけで、なんともロマンティックじゃありませんか?(*^_^*)
―派手むすめ、江戸のしたから京をみせ―
時代は、江戸末期…幕府が課した倹約令は、当時のファッションに大きな影響を及ぼした。
豪華なマテリアルの装飾はご法度、しかし、転んでもただでは起きないのが洒落者の世の常だ(笑)
お上に対するレジスタンス気風は、徹底的に地味な色使いを大流行させた。
さらに、派手者を気取るなら、まず表の長着には渋い路考茶や伊予染、その下に派手な京友禅の襦袢をのぞかせる♪
コレこそが、究極の洒落心というワケだ(^.^)b
日本の着物抜きには誕生しなかったアメリカ文化アロハシャツ、そして京都が世界に誇るデザイン友禅染…
ココはいっちょう派手者の俺としては(笑)ドワイルドに黒無地の綿単から京友禅アロハシャツでものぞかせてみようか☆
dowild.s


