Bob Dylan&Jeans
ぼくたちは暗鬱な否定者だ、召ぼうではないか、
夏の女から死を、
痙攣している恋人たちから力強い生命を、
海を紅潮させる美しい死者からディウ゛ィー灯のうえの眼輝く虫を、
種の播かれた子宮から藁の男を。
コレは1934年、ディラン・トマスという詩人が出版した『十八篇の詩』に収められた一篇「夏の少年たち」という詩の一節だ。
若干、二十歳のディラン・トマスが書いた「ぼくたちは暗鬱な否定者だ」という舌を巻くような、なんとも甘美な誘惑を秘めた語り口…
彼は1914年、イギリスの南ウェールズに生まれ、1953年、ニューヨークに客死した。
ディラン・トマスが39歳で亡くなった7年後の1960年“ロバート・アレン・ジンマーマン”という男がふらりとニューヨークへやって来る。
やはり二十歳の年だった。
ミネソタ州デュール生まれの彼は唄うコトが好きで、ことフォーク歌手のウディ・ガスリーに心酔していて、彼に一度会ってみたいと思ったからだ。
ジンマーマンはウディ・ガスリーに会えたが、その時ガスリーは重い病で床に伏していた。
会うという目的は達せられ、歌が唄いたいと言うと「しっかりやれよ」と、励ましてもくれたという。
ニューヨークにとどまりグリニッチ・ウ゛ィレッジのゲルドス・フォーク・シティという名のクラブで初めて唄ったのは、1961年4月11日のコト。
そう、若き日のジンマーマンが「ボブ・ディラン」の名前で。
もっとも彼が“ボブ・ディラン”を名乗ったのはこの時が初めてではなく、高校時代「ゴールデン・コーズ」というバンドを組んでいたが、その後、ミネソタ州立大学のカフェで演奏した時すでにその名を称していた。
もうお分かりだろう、詩人のディラン・トマスが好きだったからなんだよ。
そして彼はニューヨークに出て来た時も、クラブでの演奏の時もジーンズを穿いていた。
ウディ・ガスリーの影響もあったろうが、何よりもボブ・ディラン自身の心と身体に最もピッタリくるコスチュームだったのでは?
彼の名が人々の記憶に決定的に刻み込まれるようになったのは、1963年5月に出されたアルバム「The Freewheelin' Bob Dylan」以降のコトだろう。
当時の若者たちにとって単なる人気者というんではなく、神格化された存在、自分たちの崇高な代弁者と映っていた。
いかに有名になろうと、いかに崇められようと、彼はジーンズを手放さなかった。
普段の恰好で、普段通りに唄うのが“フォーク”だと広く信じられるようになったのも、ボブ・ディランの影響が大きいだろう。
あのレコード・ジャケットの姿に惹かれた諸君も多いのでは?
それだけボブ・ディランの虚無的な表情にジーンズが、よく似合っていたワケだ。
戦後のジーンズスタイルというと、不良の制服や反抗の象徴として流行し、続いてカウンター・カルチャーのシンボルとなり、やがて平和な時代のカジュアル・パンツとして普及していった…
ボブ・ディランのジーンズとは、実はその流れのどれにも属さないように思う。
単に時代の反抗者であったか?
彼の穿くジーンズは、マーロン・ブランドのソレともエルウ゛ィス・プレスリーのソレとも違う。
厳密な意味ではジェームス・ディーンのソレとも。
特定のメッセージを持たないコトがメッセージであったかのように…
あの虚無的な気取りに憧れ、その存在は静かな美しい毒の花であった。
ディラン・トマスの表現を借りるなら、ボブ・ディランはまさにドワイルドな「暗鬱な否定者」だったのだろう。
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