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前回は▶︎▶︎

27 【夫の転勤について行く!ワンオペで再び怒り爆発】

 

初めから読む▶︎▶︎

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↓本日の記事はこちらから↓

28【連休ワンオペ限界。 病児保育に助けられる

 

 

 

 

GW、仕事で夫が帰ってこない…。。。

 

私は、子どもにいつ何をしてしまうか分からない…

 

 

私が1番、私に怯え

 

私を怖がり

 

恐ろしい悪魔の様な存在だと


思っていました。

 

 

 

鏡に映った私は、

 

まるで般若の様に


顔色は青白く、

 

無表情

 

 

いつからこんな顔になったんだろう

 

私はいつの間に


こんな人になったんだろう…

 

 

 

湧いてくる感情は、

 

いつも苦しく、悲しい、虚しい感情

 

外に放つエネルギーは怒りばかり。

 

 

 

私って生きてるだけで

 

存在自体が


迷惑なんじゃないか?

 

そんなことばかり


思う様になっていました。

 

 

 


ママ友もいない私は

 

人と関わることで


まだ体裁を保てると思い、

 

連休までに病児保育と、

 

ファミリーサポートセンターに登録し

 

いつでもすぐ


頼る事ができる状態を作りました。

 

 

 

手続きをしたら

 

すぐに女性から電話があり、

 

「家のすぐ近くまで来てるから

 

   顔を見せて!」


と言いました。

 

 

 


私は挨拶をしに出ていくと

 

5人もお子様がいらっしゃるママ


との事。

 

すごく綺麗で


ハツラツとした女性でした。

 

「5人もいたら1人や2人のお世話くらい

 

 大丈夫だから!


 いつでも電話してね!」

 

と。

 



世の中には、

 

こんなに素晴らしい人がいるんだと

 

ホントに感動しました。

 



携帯番号も教えてくれて

 

ただそれだけで

 

私は安心しました。


 

 

いよいよ、夫なしの連休へ突入。

 

私は息子2人を楽しませようと

 

1人で計画を立てます。

 



なぜ?


1人でこんなに頑張るのか…


できないなら


できないでイイと思えないのか?

 

 


それは、母が1人で


頑張っている姿を見ていたから。

 

父が仕事で


土日も連休もいなかったから

 

母がいろんなところへ


連れてってくれました。

 

 

 

そして、大きくなってから

 

「お父さんが家にいなかったから、


 お母さんが1人で頑張ったんだ」

 

と、何百回も言っていた母。

 




何度も何度も

 

「お母さんって、すごいね」

 

と言っていた私。

 




私は、体が自然と


母と同じ行動をとっていることに


気づきました。

 

 

 

 

「やりたくなかったら、


 やらなきゃいいのに」と、

 

昔、私が


母に対して思っていたのに

 

私は、母の生き写しの様に


そのまんま同じことをしてしまう。

 

 

 

やりたくなかったら


やらなければいい


それだけのこと

 

なのに止められないんです。




やらない事の方がよっぽど恐怖で


やらない


頑張らない


そんな選択肢は、ない。

 

 

全てを満足させる

 

躍起になって、


子供たちを楽しませようと

 

がんばりました。

 

 

 

なんとか二日乗り切った!

 

明日も計画通りに行けば

 

連休が終わる

 

頑張ろう…

 

 

 

 

次の日、私は


吐き気と腹痛で動けなくなりました。

 

妊娠もしていないのに

 

またあの脱力感、めまい

 

吐き気、頭痛、意識が遠のいていく感じ

 

やばいと感じました。

 

 

 

ここで倒れたら、


この子たちはどうなってしまうんだろう。

 

そう思うと怖くなって

 

意識を失う前にと、

 

病児保育のあの人に電話をしました。

 

 

 

急な電話で、しかも連休中。

 

にも関わらず、

 

空いているサポーターさんへ


連絡してくれました。

 






来てくれたのは

 

優しそうなおばあちゃんでした。




 

 

 

私を寝かせてくれて

 

長男と遊び、


次男にご飯まであげてくれて

 

その日1日が終わりました。

 

 

 

 

自分の体のことが気になり始めました。

 

また、アパートの階段も


上がりづらくなっていたし、

 

とにかく重い物が持てない。

 



次男を抱っこする自信がなかったので

 

いつもベビーカーに乗せていました。

 

 

ふと、まだ地元に居た時のママ友に

 

「私、歳なのかなぁ〜


 階段上がるのが本当にしんどいんダァ」

 

と、話したことを思い出しました。

 

 

 

私と同じことを言っているママさんがいて

 

「その方が、精密検査を受けたら

 

 「難病」の疑いがあるって

 

 言われたらしいよ〜」

 

と。

 

まさか私が難病だなんて

 

と思い、気にも止めてなかった話だったけど


ふと頭をよぎりました。

 



その時スマホに書き留めていた病名が

 

”下垂体前葉機能低下症”

 

ググってみると

 

私の症状全てが当てはまっていました。

 

 

しかも、ググったついでに、

 

近所に、


その専門のクリニックがあることが判明。


車で数分でいける距離。



 

沖縄だったら、国立の大学病院で

 

紹介状がないと


検査も受けられない病気。

 

 

 

私は、

 

今まで何度病院へ行っても

 

なんの解決にもならなかったことを


思い出しました。

 

なので、またなんの解決にもならない事に


時間とお金とエネルギーを使うのかと


あまり気乗りはしませんでしたが、

 

それでも今の状態が続くよりは…と、

 

そのクリニックで


受診することを決めました。。。

 

 

 

この診察をきっかけに


私自身の


体を知ることから始まって


 「私自身を知る」


旅が始まります。

 


今までの


「自分から不幸を求める」


パターンと

 

点と点の出来事が

 

リンクして線になっていくプロセスは、


まさに


オセロが黒から白に変わってくようでした。

 


 

 

続きは次回\(^^)/

 

29【難病発覚。私が頑張れなかった理由】

 

 

前回は▶︎▶︎

27 【夫の転勤について行く!ワンオペで再び怒り爆発】

 

 

初めから読む▶︎▶︎

私が1番私を肯定する♡最上愛人生ストーリー