今までは


命は当たり前にずっと続くと思っていて

70や80歳まで普通に生きると思っていて

ずっと心も体も健康だと思っていて


今ある幸せに気づかず

漠然とした将来の不安を抱えながら

目の前の小さなことに不足を感じ

形あるものだけに価値を感じ

何となく日々を過ごし、生きてきた。


急に絶望がこの身に降りかかった時

初めて、未来が見えなくなった。

当たり前に来ると思っていた未来が

真っ暗になった。


当たり前に過ごしていた日常が

息苦しくて辛くて苦しいものに変わった。


生きていることがこんなにも辛いのなら

死ぬしかないのだと、自死を選んだ。


結果的には、大切な人に最後のSOSを出し

命を救ってもらった。


“君は自分のことを嫌いだと言うけど

僕は君の素晴らしいところを沢山知っている”


醜く変わり果てた見た目は今も変わらない。

しかし、救ってもらった命を無駄にせず

精一杯生きたいと今は思えるようになった。


自分を不幸だと思い込んでいたけれど、

こんなに深い愛で包んでくれる素晴らしい人がそばにいてくれるのは本当に幸せなことだと感じた。


そして、死と命について考える中で

様々な人の生き方、言葉に出会った。


スキルス胃がん、難病ALS、白血病…

余命宣告を受けた方々の闘病の記録。


死を目の前に突きつけられても、今の自分に出来ることを探し、最期まで強く生きる方々の姿。

死の恐怖と闘う本人が1番辛いはずなのに、むしろ周りを励ましている。


口から食事ができなくなっても、

体を動かせなくなっても、

声を出せなくなっても、

それでも自分らしく生きる。

強く美しい生き様だと思った。


そして、皆口を揃えて

「私は幸せ者だ」

「幸せな人生だった」と言うのだ。


自分が情けないと思った。

見た目がおかしくなったくらいのことで

この世で1番不幸だと思っていた。


まだ健康で命もある。

愛する人達もいる。仕事も家もある。

生きている、そのものが幸せなんだ。


生きたくても生きれなかった分の人達まで生き、この命が尽きるまで、1日1日を自分なりに一生懸命生きることが使命なのだと思った。


何気ない日常の中に幸せは散りばめられている。そのことに気づけるかどうか。


人生を豊かにするのも不幸にするのも

きっと自分次第だ。