辛い時、悲しい時、苦しい時、
「生きている意味」を問いたくなる。
私は何でこの世に生まれてきたの?
こんなに苦しい思いをするために生まれてきたの?
何のために生きているの?
生きている意味ってなんだろう。
結論から言うと、生きている意味などない。
生まれてきた意味もない。
望んでもないのに勝手に生命として誕生させられて、「死ぬまで生きる」という長い課題を与えられるのだ。
そもそも、「生きている意味」を問うことそのものが、生きていることに苦しさを感じた人にしか分からない感覚なのだ。
毎日楽しく何も考えず生きている恵まれた人は、「生きている意味」など考える機会はないだろう。
私は、死にたいほど辛い経験をした人にしか分からない世界があると考えている。
それは「死」と向き合うからこそ、「生」の意味を問うのであり、疑念を抱くからだ。
私としての結論は、
“生きている意味が分からなくなったら、
それを探す旅に出たらいい”
実際に行動してみるでもよし、
脳内で深く考えてみるでもよい。
意味なく「生」を与えられた我々が
「生」に意味を見つけるのが人生ではないだろうか。
かの有名な「夜と霧」の筆者であるフランクルは、「人生はどんな状況でも意味がある」という言葉を遺している。
どんなに絶望するような状況や出来事でも
きっと何か意味がある。
何か学べることがある。
学びを見い出すことが自分への救いになる。
きっとその意味を見出す中で、生きている間に成し遂げたいことが見えてくるはずだ。
そして、それを達成した時
「私は○○をするために生まれてきた」
と胸を張って言えるだろう。
「人生は死ぬまでの暇つぶし」というが、
せっかく暇を潰すなら
意味ある時間にしたいものだ。
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