昨日の続き。そして、今日が最終回。
気仙沼の湾内には、津波の後で発生した火災で焼けた船が係留されていました。
この頃は、まだ湾内の真ん中にも焼け焦げた船が残されていて、サルベージ船が岸壁に引っ張って回収する作業などが行われていました。障害物をとにかく一日でも早く片付けて、船が入港できるようにしなければ、街の復興が成り立ちませんから。
3.11は、夕方から雪が降り出し、毛布も暖房器具もない中で、たとえ横になっても体を休めることすらできませんでした。津波の水をかぶった人たちは、なおさら寒く辛い思いをしたことと思います。
でも、4月下旬には、津波をかぶった桜の木が、いつもの年と同じように満開の桜を咲かせてくれました。まだ残る瓦礫と桜のコントラストが、なんともアンバランスで悲しいものがありました。
人間の営みとは関係なく、自然はきちんと折り目正しく進んでいきました。
震災後、遠くからたくさんのボランティアの方々が助けに来てくれました。寝泊まりするところも、食べ物も水も燃料も、なに一つ満足にない所に率先して来てくれました。お医者さん、看護師さん、自衛隊員の方々、警察官の皆さん、都道府県や市町村の役所の人たちも・・・。あげたらきりがありません。本当に本当に多くの方々に助けられました。頭が下がりました。涙が出ました。感謝という言葉しかありませんでした。今は何もお返しすることはできないけど、自然と同じく淡々と着々と、前に進むことでしか恩返しすることはできないなと思っていました。
私は7月の異動で気仙沼を離れてしまいましたが、いつも被災地のことや一緒に働いていた同僚たちのことが気になっていました。
10月にようやく休みが取れたので、久しぶりに戻ってみました。仮設の橋が架かっていたり、以前よりも瓦礫が片付いていたりしましたが、復旧や復興には程遠い状況でした。
この写真は、気仙沼線の大谷海岸駅です。寸断された鉄路がそのままで、何も変わっていなかったのが悲しかったです。一日も早くつながることを願っています。
大震災から1年を前に、ほんの少しの写真を載せてみました。被災地を忘れないために、あの大震災を風化させないためにという思いを込めて・・・。
被災地は、少しずつ少しずつ前に進んでいますが、まだ被災地のままです。
募金もボランティアも大事ですし必要です。まだまだ全然足りていません。
でも、地元の人たちがもっと元気になる方法は、私たちが肩ひじ張らずに遊びに出かけ、そこでラーメン1杯でもいいから食べたり、海産物や土産物を買ったり、宿泊をしたりお酒を飲んだり、地元の人たちと何気ない会話を楽しむことだと思っています。地元の人が、今までに近い形で仕事ができること、働く場所があること、そうして以前の生活を少しずつでも取り戻せること、それがこれからの一番大切な支援だと思っています。
これからは良い季節になります。皆さんも、ぜひ足を運んでください。青い海ときれいな空気でおもてなしをしてくれるはずですよ。
それから、3月11日 午後2時46分には、亡くなられた方々のご冥福を祈って、黙祷しましょう。