間もなく3.11がやってきます。
あの日、私は単身赴任の身で被災地で勤務していました。
2:46に発生したとても激しく、そして長い揺れの後、「絶対に津波が来る!」と思いました。
今までに一度も経験したことのない大きな揺れでしたから・・・。
幸いなことに職場は内陸寄りにありましたから、津波の被害はありませんでした。
でも、あの瞬間、多くの人たちが命を落としたのだと思うと、今でもいたたまれない気持ちになります。
九死に一生を得た人たちの、その後の苦労も並大抵のものではありませんでしたし、残念なことに、1年が経とうとしている今も続いています。
当日の夕方に街へ出かけて行って、目の前に広がる見慣れた平和な光景とは全く違ってしまった景色に呆然とし、カメラの設定にも考えが及ばず、震える手でコンデジのシャッターを押してました。震災当日の写真は、後で見返すと、ほとんどがぶれていました。
どこへレンズを向けても同じような景色で、何をどう撮ればいいのかわかりませんでしたが、なぜだか、ただ、この風景を残しておかなければという思いだけで、シャッターを切ってました。
呆然と立ちすくんで自宅の方向を見ていた女子中学生、どこに行こうとしてるのか瓦礫の山の上をよろよろと歩く中年の女性・・・。みんな声も出せず、ただ黙々としていました。人の声も鳥の鳴き声も、車の音も何もなく、不気味な静寂の世界が広がっていたのを覚えています。
私は、7月に転勤になって海の街を離れることになりましたが、なにか、逃げて来てしまうような後ろめたい気持ちと、申し訳ないような複雑な気持ちで海の街を離れました。
二度とこんな経験はしたくないし、させたくもありません。
でも、人間は自然の前では無力です。おごらず、謙虚に生きていかなければならないと思い知らされた災害でした。
このブログに、はじめは震災の写真を載せるつもりはありませんでしたが、1年を経過するにあたって、やっぱり忘れてはならない、忘れてもらって困ることだと思い、何度かに分けてほんの一部ですが掲載することにしました。
これからも被災地とそこに住む人たちを忘れないために、見ていただけたら幸いです。
(この写真は、3月11日の夕方の5時半ごろだったと思います。気仙沼市田中前付近の風景です。これでも水がだいぶ引いています。神山川の堤防の上を歩いて、行けるところまで行こうと思いましたが、瓦礫が進路を阻み、ここが限界でした。)
(これは、4月3日の気仙沼市鹿折地区の風景です。瓦礫が片付けられて、復旧車両が通れるように道ができています。その道の端っこにサッカーボールが転がっていました。持ち主の子供が無事に生きていますようにと祈りながらシャッターを切りました。)