私のRTなんてどうでもいいからさぁ、このぱるるのメッセージをちゃんと見つめてよね。あなたたちが | 散り急ぐ桜の花びらたち~The story of AKB.Keyaki.Nogizaka

散り急ぐ桜の花びらたち~The story of AKB.Keyaki.Nogizaka

小説家を目指しています。ゆいぱる推し 京都地元大好き 鴨川のせせらぎと清水寺の鐘の音の聞こえるところに住んでいます。







ぱるるのもしもを想う


もしあの時大賞を獲れていたら何かが変わっていただろうと

秋元康の描いた未来がいっぱい詰まった僕達は戦わないだった

それは単なる40番目のシングルではなく
それからのAKBの進むべき道を占うものだったはず

でも獲りにいって逃した反動は大きくて
それによってグループとしての推進力を大きく失う
最後のジョーカーとも言うべき島崎遥香を担ぎ上げ
満を持して勝ちにいったレコ大での敗北は
広く世にAKBの凋落の始まりを印象付けてしまった

グループの行く末を大きく変えた僕戦という楽曲
ぱるるもまたその波にのまれ翌年惜しまれながら秋葉を去った
そして今、まるで時計の針を戻す様に呟いたぱるるのメッセージにぱるるを想う








このままじゃダメだ、時を同じくして漏れたその呟きに
過去から何かを学び再び歩き出そうとするぱるるを想う














今回のことで多くの方からおめでとうのメッセージをいただきました。でもツイートよりもどちらかというとDMだけの方が多くてそのことにはついては私らしいかなとすこし首をかしげながらもそう思ってます。お祝いというかクレーム的なやつもありましたしね(苦笑)


ヲタとしての推し事についてはまったく違う方を向いちゃってる村のアプレもんですから「なんであんたが?」みたいになりますよね。

同じ推しのフォロワーは結構いるのに絡めていない方が相当数いらっしゃる。圧倒的に多いんですよねそっちの方が。珍しいですよねこういう人って(笑)

みなさんが奇跡的なことと言っていただいてそれはそれでうれしい反面、ファンとしてのコミュニティというかクラスタのなかにちゃんと入れていない自分をあらためて想いました

まぁそれをひっくるめて私は私はだと思ってますから
以前も言ったように物を書いてる以上、承認欲求は人並み以上にはあるけど
村の中でお情けで労わりあいながらの評価なんていらない、その思いがより強くなりました。

それに今回の件でわかったこと、
ぱるるは家康や秀吉型ではなく信長型だということ。
それはぱるるという人は同じ方向を向いてる人には興味がいかなくて。なんか変な奴、アンチか熱烈ヲタか。クレームか応援か

そこの垣根がわからないで叫んでるようなやつ(笑) そんなやつになぜか目が向く。
おそらくみんなが気にするであろう自分をどう思ってくれてるかよりも、自分のどこをどう見てくれてるのかが気になる

混じりけのないその視線は人を見る目が全く平らで

人にどういわれようと自分を崩さない強い己を持っている







ぱるるはもののふだと、私だけでなくぱる推しのブロガーさんたちはよく言われます。
好きか嫌いかはどうでもいい
私の何を見てどう思うのか、言ってみなさいよ的な(笑)
おそらくそこから自分なりに何かを見つけ何かを掴みたいんでしょうか

本当に強い人は弱い自分を知ってる
ぱるるが常に見せている晒しているポンコツで弱っちいぱるる
若い時はうつけと呼ばれて揶揄された信長もその点ではぱるるには通じるものがありそう

そう思うんですけどどうでしょうか?


ただ私がひとつ残念なのは私がぱるる村界隈での微妙な立ち位置にいるせいで、せっかくのぱるるの想いが拡散できないこと
おそらくぱるちゃんにしたらこのメッセージはそこそこの勇気を持って発した言だと思う。
それをそんな想いを一部の人だけでしか共有できていない事実

ぱるるが自分の大切なパンドラの箱を開けてまで
僕戦への想いを吐露したこのメッセージ
秋元先生にも聞かなかった
大友監督にも聞かなかった
聞かなかったということは言われもしなかったと同じ。
その作品の主演女優と言ってもいいぱるるが言われもせず聞きもせず
独自の判断でこの大作に挑んだという事実
驚愕すべきことでしょうこれって。

そこに好き嫌いの戸を立ててぱるるの想いをスルーするってどうなんでしょうか

私のツイートなんてと虫唾が走るんなら、

そんなもんぶった切りゃいいのにね

だから、私のRTなんてどうでもいい、

そこから切り離してぱるるのこのメッセージだけが一人歩きしてほしい、

そう思う今日このごろです


それではみなさま楽しいゴールデンWを

"おうちで"お過ごしくださいね。。(^O^)/🏡🏬