クラウンのブログ -4ページ目

無題

世界に不幸な人間は数多く居る

世界に幸福な人間は数多く居る


これはどちらが正しいといえるのだろうか


人口的な割合から見て貧富の差と先進国と発展途上国の割合的には圧倒的に前者が多いだろう

しかし自分が不幸であると知っている人間と

自分が幸福であると知っている人間なら


きっと自分が幸福であることを知っている人間のほうが数は少ないのではないだろうか


不幸であると知っている人間の方が優秀か?

賢いという意味はどちらに適応されるべきなのだろうか?


贅沢な話だ

どうでもいいことばかりかり考える

差別的で侮蔑的ナ人間のほうが裕福なのはなぜなのだろう


じぶんが優位だと上だという驕りからか?



単に余裕というなの暇があるからか

コレは平等にしなければという考えのほうが驕りで偏っている気がする


平和と平等を歌う人間に限って殺される

それはなぜなのだろうね


けれど死にそうになってもそれを優位な立場から言い続ける人間は気味悪くないか

毎日衣食住に困らない人生を送りながら一度も食べ物に困ったことの無い

飢えたことのない人間がうわっつらだけの同情で飢えに苦しむ子供にすらかわいそうという


驕りだ


わからないものは一生わからないとそうおもう

だからかれらはわたしたちをなじるんだろうか


これも差別的なのだろうか

けれど普通のつまらない日常にもばかにされることもわからない感情も多くある


だからわかろうとするのか?

本人はそれを望んでいないかもしれないのに?


けれど無関心のほうがよほどあいがないのか?


あいがあればすべて解決するのか

甘えじゃないのか


行動すらしない私のいうことじゃない


どこかのSFみたいだ


だれもが漁もしなくても魚もくえる働かなくても服にも食べ物にも住みかにすら困らず

あまつさえ、娯楽や趣味思考に合った環境まで用意され

同じ思考同じ年代の同じ環境のものがそろう


そうすれば殺し合いも喧嘩もないなんて大嘘だけれど


昔からしたら夢の中の話だろう今でも場所によればきっと夢のような


けれどどうだろう当の本人たちは暇すぎて脳までバカになっておかしくなってる

オカルトに嵌った狂人のように


なにもせずともなにもかも手にはいるということはきっとなにもないのだろう


乖離症になると自分がもう1人居る

自分は誰なのかわからなくなる


いっそ死んだら自分はもっと完璧になれるんだろうか