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米津玄師ファン時代としての記録
・:*+.\(( °ω° ))/.:+

https://www.getyourguide.jp/new-york-city-l59/new-york-radio-city-stage-door-tour-ticket-t179495/

 

 

Forbes-フォーブスは、アメリカ合衆国で発行されている経済雑誌である。隔週で発行され、金融、業界、投資、マーケティングなどのトピックについての記事を掲載している。また、技術、通信、科学、政治、法律などの関連記事も掲載している。本社はニュージャージー州ジャージーシティにある。ウィキ

 

Kenshi Yonezu Talks World Tour, Music Styles And The Future Of A.I.

https://www.forbes.com/sites/laurasirikul/2025/04/16/kenshi-yonezu-talks-world-tour-music-styles-and-the-future-of-ai/

 

米津玄師がワールドツアー、音楽スタイル、そしてAIの未来について語る

米津玄師は口数が少ない人だ。

彼は世界有数の日本人アーティストかもしれないが、そのことについて語るのではなく、むしろ音楽を通して自らを代弁する。それが、彼が国内外で成功を収めた多くの理由の一つなのかもしれない。2009年にはハチ名義で実験的なボーカロイド楽曲を制作し、その後はアカデミー賞を受賞した長編アニメーション映画『少年とサギ』や人気アニメシリーズ『チェンソーマン』の主題歌など、自身の楽曲も手掛けている。

Jポップ、ロック、エレクトロニックサウンドを融合させた音楽で知られる米津玄師の音楽は、魅惑的なメロディー、卓越したビジュアルコンセプト、そして深く思慮深い歌詞で、リスナーを「ユニークでダイナミックな音楽の旅」へと誘うと言われてきた。34歳の「シャイ」なアーティストである彼は、人と会話をするのが苦手で、自分の返答に迷いがちだと認めており、音楽は彼にとって表現の入り口となっている。しかし、ステージ上やスタジオにいる時は、彼は別人になる。最も「オープンで自由」だと感じられる時なのだ。

「演奏している時は、自分が長年作り、演奏してきた音楽なんです」と米津玄師はZoomの通訳を通して語る。「音楽を(作りながら)自分の気持ちを整理する時間がありました。自分の気持ちにとても正直に向き合える音楽なんです。だって、それが自分を慰めてくれるって分かっているから。」

先週、ニューヨークとロサンゼルスで行われたJUNKワールドツアーのソールドアウト公演で、アメリカのファンは米津玄師のそんな一面を垣間見る機会を得た。彼のセットリストには、シングル曲や多くのアルバムからの楽曲が含まれ、その中には『チェンソーマン』のオープニングテーマで、日本の楽曲として初めてRIAAゴールド認定を受けた「キックバック」が収録された最新アルバム『Lost Corner』(2024年)も含まれていた。

米津は、アメリカのファンの前で演奏できることに「大喜び」していた。ロサンゼルスを訪れたのは14~15年前だが、ニューヨークを訪れるのはラジオシティ・ミュージックホールが初めてだった。彼はうなずき、軽く微笑みながら「とても楽しいです」と言った。

以下、J-POPスターが、ついにヨーロッパと北米をツアーするという決断、日本のファンとの違い、自身の音楽スタイルの定義、J-POPの人気の高まり、そして芸術と音楽における人工知能(AI)についてどう感じているかについて語っています。

 

ローラ・シリクル:最終的にヨーロッパと北米をツアーすることに決めた理由は何ですか?

 

米津玄師:ご存知の通り、最近は日本の音楽が海外でも徐々に受け入れられるようになってきました。それが今の現状です。僕自身もずっとボーカロイドをやってきたので、待っていてくれる方もいらっしゃいましたし、そういう方々に向けてライブをさせていただくタイミングだと思いました。

 

シリクル:あなたの音楽のサウンドは、ポップからR&B、ロック、そしてジャズの要素も少し加えながら、プロジェクトごとに変化してきましたね。ご自身のサウンドや音楽のテイストをどのように定義していますか?

 

米津:僕は自分のスタイルを追求することにあまり興味がないんです。というか、決まったスタイルを追求することにあまり興味がないんです。昔から、自分が興味のあることをどんどん追求していくタイプなんです。今、自分が楽しいと感じているのは、

ずっと好きだった音楽、オルタナティヴ・ロックです。最初から好きだったのはまさにそれでした。バンドをやっていた時期もありましたが、残念ながらバンドは私には向いていませんでした。一人で活動し始めてから、特定のスタイルに囚われることなく、本当に自由に活動できるようになりました。一人で活動していると、何をしなければいけないという制約がなく、何でも自由にやれるんです。もし自分を定義づけるなら、J-POPを追求していると思います。

 

一つのスタイルがあなたを定義するわけではありません。あなたは実験や新しいことに挑戦するのが大好きです。ぜひ試してみたいスタイルはありますか?将来やってみたいスタイルはありますか?

 

米津玄師:僕は曲を作る人間なので、メロディーはすごく大事にしています。それが僕の仕事の核なんです。それを作れたら面白いかもしれないですね。

メロディーに頼りすぎない音楽。ラップも面白いかもしれない。

 

シリクル:あなたは2009年から「ハチ」として音楽業界に携わり、2012年にデビューしました。音楽業界はどのように変化しましたか?また、デビュー以来、あなた自身はどのように変化しましたか?

 

米津:僕の音楽キャリアはインターネットから始まったので、当時の新しいテクノロジーであるボーカロイドの恩恵を受けました。今ではボーカロイドは日本の国境を越えて世界中で受け入れられています。でも、僕がボーカロイドの音楽を制作していた頃は、それは本当に日本のシーンの中の文化で、僕のルーツはそこにあったんです。最近は日本の音楽シーンがますます国内志向になってきています。悲しいことに、海外の音楽を聴く人はそれほど多くありません。たいていは日本の音楽かK-POPのどちらかを選ぶという状況です。それが今の日本の現状です。僕は洋楽の影響を受けてきたので、今の状況は寂しいですね。一方で、日本人が自分たちのアイデンティティに満足しているという側面もあるのかもしれません。そういう意味で考えると、それは悪いことではないと思います。もちろん、今、日本の人口は減少傾向にあるので、日本の音楽業界が急激に成長しているわけではありません。これからどんな変化が起こるのか、私には分かりません。ミュージシャンとして、変化が起こるか起こらないかに関わらず、これから先どの方向へ進んでいくのか、常に考え続けなければなりません。

 

アメリカ文化には日本の影響が波のように押し寄せ、消えていきました。日本のアニメや映画の人気、そして日本のミュージシャンやアーティストの増加などです。音楽と(あなたの楽曲が)人気アニメに関わってきたあなたは、西洋における日本文化やコンテンツの評価の変化をどのように見ていますか?

 

(西洋の)変化や転換を強く感じています。新型コロナウイルスのパンデミックは、日本のアニメが世界の舞台でさらに活躍するきっかけとなり、大きな助けとなりました。私が活動を始めた頃はボーカロイドのシーンでした。ですから、インターネットはそういった意味で非常に大きな存在であり、私の音楽と他の国の人たちとの文化交流の場として機能していました。それも一因でしょう。インターネットは常に良い面ばかりではありませんが、悪い面もあるとはいえ、良いことに活用できることもあります。それでも、海外の人たちが私の音楽を聴いてくれるのは、とても嬉しいですね。

 

シリクル:あなたは、宮崎駿監督のアカデミー賞受賞作品『鷺の子』をはじめ、数々の美しいアニメシリーズや映画に携わってきました。また、自身のアルバムやシングルのジャケットにも美しいイラストを描かれています。近年、スタジオジブリ作品をはじめ、AIによるアートワークの模倣が盛んになっています。AIを用いてアート作品を制作するという、こうしたトレンドの高まりについて、どのようにお考えですか?

 

米津: AIに関しては、音楽に携わる人にとっては大きな問題、あるいはテーマです。インターネットでAIを使って私の歌を真似した曲を耳にしたことがあります。本当によく出来ています。そういう曲を聴くと、自分の声だと言われているのに、本当に自分で歌ったんじゃないかと思うこともあります。本当に私が歌ったのかな?AIに取って代わられるので、もしかしたら私自身が必要なくなるのかもしれません。もちろん、ほとんどの人は何か有益なものや簡単にアクセスできるものに出会ったら、それがあるからこそ使うでしょう。だから、なぜ使わないのか?でも、私の世代はAIが作ったものに嫌悪感を抱いています。いずれ、それを心から受け入れる世代が出てくるでしょう。今の私たちとは違う気持ちになるかもしれません。もちろん、私がボーカロイド界に足を踏み入れた頃は、「そんなのは歌じゃない」「歌を貶めている」と(些細な言い方で)言われていました。馬鹿げた話でした。今となっては、私の世代の若者にとって、それはとても興味深い出来事でした。AIとボーカロイドを同一視することはできません。全く異なるものであり、同じ言葉で語ることはできませんが、必ずしも正しい方法とは言えません。しかし、文化においては、私たちが今当たり前のこととして受け入れていること、あるいは(彼らが慣れ親しんでいること)が習慣化してしまうのです。それは時代によって大きく異なります。西洋の室内楽はブルジョワ階級から始まり、やがて私たち一般の人々に浸透していきました。私は貴族階級の出身でもなければ、高潔な人間でもありませんが、もし(当時)そのようなことが起こっていなければ、日常的な音楽として受け入れられることはなかったでしょう。彼らは室内楽を聴くことなど到底受け入れられなかったでしょう。私がこれをAIを擁護しているという意味に捉えてほしくはありませんが、AIは不道徳だと強く感じています。でも、ミュージシャンとして、それと共存していく方法を見つけないといけない。今はそう感じています。自分の中にどうしても手放せない核心的な部分があるけれど、それと健全に共存し、前進していく方法を見つけないといけない。

 

シリクル:ヨーロッパで西洋の観客の前で公演をされましたが、西洋文化と東洋文化の違いにはどのような点を感じますか?

 

米津:個人的に一番驚いたのは、観客の歓声に合わせて足踏みする音でした。まるで地底深くから響くような音でした。東アジアでのコンサートではあんな音を経験したことがなかったので、驚きました。

 

シリクル:あなたは6枚のスタジオアルバムをリリースし、数々のチャート入りを果たし、ツアーはソールドアウト。 『チェンソーマン』『少年と鷺』など、世界的に成功を収めた数々のプロジェクトにも参加してきました。今後、挑戦したい目標はありますか?

 

米津:今は、いつまで創作を続けられるかという意識の方が強くなりました。具体的な目標があるわけではないのですが、今回のワールドツアーを通して、海外でこんなにたくさんの人が自分の音楽を聴いてくれているんだと実感しました。こんなにも熱烈に歓迎してもらえて、本当に感動しました。だから、今後はもっと海外の人たちを意識しながら音楽活動を続けていきたいですね。

 

 

 

 

 

ありがとうございます!

こういう動画!

嬉しいです!

 

あのほんと、動画主さんになんのことわりもなく載せてしまってて大丈夫かな?

 

海外ツアーはなかなか現地の人のこういう動画ってなくて、日本もそうだけど、日本ではコートエイトさんくらいかな?

つい、感動してしまって恐る恐る共有ボタンを押してしまった。

 

 

さすがニューヨーク

多種族、多文化、多言語の受け入れがいい。

米津さんのポストによると韓国とかフランスも熱狂してたみたいだけど、こういう動画はその地の米津愛が凄いことがよくわかるから秀逸です。

ハチ時代からの10年越しのファン歴で、やっとここに来てくれたっていう感動は、「感電」からファンになり始めた私には計り知れないものがあります。

難しい日本語のボカロ曲を熱心に聞く英語圏のファンたるや、彼らは何を求め何を感じているのか・・

 

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしJAZZ好きで、BGMをよく利用しています。

米JAZZあったらいいのになぁと思ってたんですが、同じこと考えている人はやっぱりいるんですね~そして作っちゃった。音楽の才能ある人って羨ましい。

いつもは米津さんの音楽聞くと刺激されて元気が出ますが、さすがにJAZZになると・・リラックス~ゆったりしてコーヒータイムにあいますね。

今、丁度お昼食べた後でコーヒー飲んでるところだったから、ウトウトしていた。米津さんの曲でウトウトってあんまりないw

 

2025年11月18日にgooブログが終了してしまうまで、元ブログのURLを貼っておく。

 

 

こんなブログだったのだ~

 

なんとかAmebaブログの方、ヘッダとか背景とか作ってみたけど、イマイチ。

これから変えていく。

背景のつつじは米津さんの新曲『Azalea』に因んでの画像。

 

データ移行は無理だから、新しく作っていく所存。

自分史のなかの米津玄師ファン時代を記録していきたかったのに、始めてからここまでの記録が無くなってしまうのは惜しいので、11月までに少しづつ、こちらに手作業で移していくつもり。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

2月に入ってカレンダーを見ない日はなかった。

 

グッズ整理券の受付を忘れたのも、この「もちまる日記カレンダー」にうっかり記入し忘れたからだ。

見よ!22日がすっかり空欄である! なぜ?なぜ?なぜ?忘れた??(思い当たる節はあるけど話が脱線するから止める)

でも長蛇の列に耐え欲しいものは手に入れたから(がらくた君キーホルダー以外 涙)まぁまぁ良しとしましょう。

 

あんなに待ったこの日も、今や夢か幻想だったんじゃないか・・・?という時間の中にいる。(家で銚子電鉄ぬれ煎餅とコーヒー飲みながら)

さぁ振り返ってみよう・・・

 

 

JR水道橋駅を降りて東京ドームへの向かい道、迎えてくれたのは

暮れなずむ街、夕暮れの空。

 

 

 

 

ん。久々の東京ドーム、別に野球好きじゃないし、それ以外の遊び場もお高いし、あんまり来ないから。

 

 

 

あ、一番星。

 

 

 

以前、とあるイベントでここのチュロス食べて、めちゃくちゃ美味しかったことを覚えている。

ドームへ行く前にコートエイトさんのライブ動画見てたら💛型の上に米津の文字が乗ったチュロス売ってたみたいですね。ここのはやけにもちもちしてうまいんですわ。食べたかったけど、烏合の衆の中をウロウロ歩くのは苦手なので、まあまあぎりぎりの時間に到着。

 

今日は、ほぼ開演時間までトイレの長蛇の列に並んでました。

 

スタンド席を選びましたが、なかなか良い席になり満足。

ただ、せっかく銀テがこちらまで飛んできたのに、私の頭上からは銀テが逃げるように左右に散ってしまいました~何の罰?

 

 

暗転して、会場に雷が鳴り響く・・・とくりゃ『RED OUT』です。続けて『感電』 ドーム大盛り上がり。

 

「数十年後には忘れてしまっているような時間かもしれないけど、だからこそ楽しみましょう(?)」・・だったかな?

また、別のMCでは、高校生の時から曲を作っていて、どこかに公表したいなと思っていたこと、ニコニコ動画に投稿するようになって、良いコメントも誹謗中傷も、画面の向こうに聴いてくれている人がいると感じて嬉しかったこと、自分は徳島という田舎で暮らしててライブというものに縁がなく、ドームとかアリーナとか武道館でやりたいというのがなくて、それが今こんなところに立ってるなんて・・・と、しみじみ言ってました。

「皆さんも初めは画面の向こう側の人達がこうして一堂に会して、感謝しかない。みんな生きていてくれてありがとう!と言うと、会場からも誰かが「ありがとう!」と返してました。嬉しそうな米氏。ドームが一気に温かく感じた。

 

曲順は他の人のブログのセットリストの通りだったと思います。

「海の幽霊」で胸が熱くなりました。

私は生まれたのが広島県の因島というところで瀬戸内海にある島です。ただ母が出産で帰っていただけなので、数カ月して東京に戻り東京で育ったのですが、幼稚園年長さんの頃3ヶ月ほど過ごしたことがあり、早朝や夕方に黄金にきらきらと輝く美しい瀬戸内海を今でも憶えていて、この歌はそれを思い出させてくれるのです。とても劇的で刺激的な歌ですね。米さんの曲はだいたいが刺激的だけど。

 

今回のJUNKは、初めて行った変身や、二度目の空想よりも、もっとライブらしい、なんていうか、米津さんと一体感があったというか、とにかく盛り上がったなと感じました。

いかんせん、変身の時も空想の時もコロナ禍で規制がかかってたから。

 

今回は、米氏が手を上に上にひらひらさせて“盛り上がってー”という感じで煽ってたし、マイク向けてみんなに歌うように仕向けてたし、“XOXO”の所とか。

とても楽しかった。

本当に夢のような時間でした。

 

でも、変身や空想の時も、規制はかかってたみたいだけど私には初めてのライブだったから、一人でそれなりに盛り上がっちゃったし、さいたまスーパーアリーナって遠いから、帰り道、何となく切なくなる感じも嫌いじゃなかった。それはそれで米氏への思いも募ってねw(一人、車運転して来てたので)

 

今日が終わって、私的には あー長いツアーが終わったんだなという感じだけど、

米さん的にはまだまだこれから海外ツアーが続くので、ますますパワーうPしていくことでしょう。

それこそドームどころか「海外の舞台に立ってるなんて・・」という現実がね。

米さんは、大きな会場、有名な会場というのには頓着なくて、ただひたすら、自分の作った歌を皆に聞いてほしくて歌っていきたいんでしょうね。

 

最後の最後。

だからこれ言っちゃってもいいよね。

『LOST CORNER』では、黄色いオープンカーの助手席?運転席?の背もたれに座って、立膝にした足をドア上部に置いて歌いながらアリーナ席の周りを周遊。もし運転席だったとしたら自動運転だったのかな?途中で、障害物っぽいのを認識したらしく、軽くカクンと止まってた。

わたしゃ二階席にいたんで、すぐそこ・・でもないけど、比較的すぐそこ、に来た時は両手振りながら軽く飛び上がってしまいました。

最高な演出。最高のサービスでしたーーー(´;ω;`)

 

米津玄師さん、バンドの皆さん、ダンサーさん、スタッフの皆さん、ドーム関係者さん楽しい時間をありがとう!!

 

 

 

 

帰りにドーム近くのドンキーに寄り道したら、米津さんの音楽かかってた♪

 

あぁ・・やっぱり帰り道切なくなる・・かとおもったけど、JR水道橋駅の駅員アナウンスがシャウトしてて目が覚める思い。電車で帰るのもいいね。

 

 

 

いよいよ伊勢志摩サミット終了後の5月27日、オバマ米大統領が広島を訪問します。実現すれば世界で唯一の核兵器使用国の大統領が、現職大統領としては初めて被爆地を訪れることになります。

オバマ大統領は「核兵器のない世界」について言及すると見られ、世界中が広島に注目しています。

2009年4月にオバマ大統領がプラハで核兵器廃絶の演説を行ってから7年が経ちます。その間、2010年の「核体制見直し」の表明や、イランの核開発を遅らせる合意などに取り組んできました。

しかし、今年1月に行われた北朝鮮の4度目の核実験では、北朝鮮は核の小型化に成功したとみられており、東アジア地域での核の脅威はむしろ大きくなっています。

そうした中で日米だけが核のない世界を訴えても、中国や北朝鮮は応じません。むしろ喜ぶだけでしょう。


●原爆投下の正当化は将来に禍根を残す

来日に先立ってオバマ大統領はNHKとのインタビューを行いました。

インタビューの中で「(広島訪問での)メッセージに広島への謝罪は含まれるか?」という問いに対し、「含まれない。戦争のさなかにある指導者は、あらゆる決定を下すとの認識が大切だ」と答えています。

「戦争における指導者の決定に対して疑問を呈し検証するのは歴史家の仕事である」とインタビューでは続けていますが、原爆投下による大多数の民間人に対しての無差別攻撃は当時においても国際法違反です。

これをアメリカ大統領が正当化することによる国際社会への影響は甚大です。確かに、現職の大統領が原爆投下の過ちを認めてしまえばアメリカ国内での若者の愛国心が揺らいでしまうなどの懸念はあります。

しかし、今後、広島や長崎のような被爆地をつくらないためにも、民間人への無差別な大量殺戮は正当性を持ちえないということをはっきりさせるべきです。

 

●日本は平和交渉を続けていた

 

アメリカ国内では原爆投下は「戦争を早期終結させた」という見方が多数となっていますが、広島でも「原爆の惨禍は恐ろしいことだが、原爆投下によってそれ以上の犠牲者が出ずに済んだ」と認識している方が少なからずいます。

しかし、本当に原爆投下は戦争を早期終結させたのでしょうか。

フーバー元大統領が著した『フーバー回顧録』によると、1945年2月のヤルタ会談の時期に、既に日本は和平についての打診を中立国であるスウェーデン公使に要請していました。

そうした日本の動きを受けて、7月のポツダム会議が行われています。日本側に和平の準備があった事を連合国側も把握していたのは明らかです。

また、どんな事情にせよ長崎による二度目の原爆投下は必要ありません。

核兵器の惨禍を二度と繰り返さないためには、「原爆投下は民間人に対する無差別攻撃であり、国際法違反である」という認識をしっかりと持つことが重要です。

同時に、原爆が戦争の早期終結をさせたというアメリカによる国内外の世論を説得するためのレトリックを打ち返していく必要があります。(ただし、昨年夏の米国内の調査では、若年層のうち45%が「原爆投下は間違いだった」とした。)

真に「核兵器のない世界」を目指すのであれば、日米の協力関係が不可欠です。

公正な歴史認識を持つことによって、日本は「過去に原爆を落とされても仕方ない悪行を行った国」という戦後のレッテルから解放されなければなりません。

そして主権国家として明確に自主防衛体制を築きつつ、日米同盟の片務性を解消するべきです。さらに独裁国家の核の暴発を防ぐための核抑止力を持つ必要があります。

日米が同盟国としての協力関係を堅持することで、真の平和と正義の実現を担っていく土台が整っていくものであると信じます。