はい、こんばんは。今日は茂木健一郎先生の「脳は0.1秒で恋をする」内に書いてある「没我の境地に至る恋愛」という部分にちょーーーー共感したのでメモ。

読んだのはもう2017年ころなのですがあまりにも、その当時の自分の恋愛に響いたのでスクショしていたのです。

 

大好きな人とデートしてバイバイしてひとり家に帰ったとき、なぜこんなにも、寂しい悲しいの感情のあとに「自分が返ってきた」「自分が戻ってきたぞぉおお」という感覚に陥る自分がいるのだろうと思っていて。いくら大好きな人とのデートでも、もともと1人で行動するのが好きなので「安心」とか「解放」からなのかと思っていたけども、それって違うんだって気づいた本です。

 

ー楽しい1日が終わり、お別れを言って自分ひとりになったとき、スーッと我に返っていく感覚があります。その瞬間、それまで「自分」という存在が遠のいていたことに気がつくのです。

いわゆる、「没我」の状態です。

 

え、あたし没我の境地にいたの!?って目からうろこで。

 

仕組みとしてはこうらしい。

 

前頭葉には自分の状況をモニタリングする働きがある

「今、わたしはあの人からどのようにみられているのだろう、、!」とか客観的にモニターする部位がある。

 

しかし

 

恋人と一緒にいると、このスイッチがOFFになる=自分を客観的に見る活動が低下する

 

らしいのです。

 

ーつまり、本当に良い関係を築けている恋人同士の間では、「今、この人はいま自分のことをどう思っているだろう」「私、変な顔してないかな」という意識はきれいさっぱりなくなってしまっているはずなのです。「他者からどう見られているか」を気にする強い自意識は消え、ただ、お互いだけが見えている状態。それが、「没我」の境地であり、言葉を換えるならば「自分たちだけの世界」ということになります。

 

私の数少ない恋愛経験で、この”境地”に至れたのって実は1人。そりゃあ、変な発言しちゃったり髪の毛切りすぎたーーって日のデートは、相手がどうおもってるかそわそわしてしまうこともあったけども、そういう表面的なモニタリング機能はのぞきね。

 

他人の存在があって初めて立ち上がってくる「自己認識の回路」というものがあります。その回路が働くとき、人は自分が「自分」であることを強く認識します。

しかし、恋人というのは、ある意味で自己の延長線上にいる人であり、ふたりでひとつのユニットを組んでいるようなものです。緊張感をもって相手の様子を見たり、自分がどう見えるかということを気にしなくていい。

 

ふむ。なるほど。

恋人と、キスをしたり人前で手をつないだり、お部屋でセックス、、、これらを我を忘れて没頭してる。ヤキモチ妬いたり、ささいなことで喧嘩したり、、、好きな人といるとまさに、普段だったら回避すべき気遣いとか「空気読む」みたいな機能をオフしてありのままでぶつかろうとしちゃうのだろうな。

 

なかなか、このモニタリング機能をオフにできる相手に出会えることってないと思うし、最初からオフってしまうとそもそも彼女の土台に立つこともできないかもしれないけど、脳みそって素直で単純で、なんちゅー機能を備えてるんやってびっくりしたわけです。

 

皆さんはそんな恋愛してますか?