心はどこにありますか?
こう問われたら
新しいノンデュアリティでは、このように答えます
心はいつも掌に!(笑)
心が胸にあると思っているときは「ハートが閉じた状態」になります。
胸には「物言わぬ眼」があります。物言わぬ眼は「ただ見ているだけの眼」です。
誰が見てるの?
✫ハートから本質が見てます✫
本質は「ハートからこちら」を見ています。
✫見てるだけ✫
これが「本質」です。
ーーーーーーーー
ハートが開いている
↕
本質が「こちら」を見てる
ーーーーーーーー
心は胸にある、そう思っていると、ハートは閉じます。
ハートが閉じると「眼はこちらを見られなく」なります。
なぜ心が胸にあると
こちらを見られなくなる
のでしょう?
心には「私」があるからです
「私」というエネルギーは「本質を閉じます」。
本質が閉じる
↕
そうです「ハートが閉じます」
新しいノンデュアリティに「ハートの声?」はありません。ハートの「音」があります。
ハートの音は「はじまりの音」になります。
例えるといま聞こえてる音は、オーケストラが演奏前に出している「調律の音?」ににています。
いつもそうではありません。
雲の音と呼べるような時もあれば、宇宙の静かな流れみたいな時もあります。
どちらにしても
「広がりのある音」
「主張のない音」
になります。
この「音」を聞いていたら「有名になろうとは思わない」と思います。
様々に表現はします、しかし売り込むような主張はしない。
こんな「音」が
ハートにはあります。
ーーーーーーーーーー
いつか精神医学の専門家と
話してみたい会話
ーーーーーーーーーー
✫精神科医✫
心はどこにありますか?
✫発案者✫
はい(笑)
いつも掌にあります!
✫精神科医✫
掌???
✫発案者✫
はい(笑)心が胸にあると
ハートを塞ぎます
ハートが塞がると
あれが、こちらを、見れません
あれがこちらを見れないと
心は「私」に振り回される
生きてることが
それはそれは「大変」に
なります(笑顔)
✫精神科医✫
そうですか〜
○○さん、楽しそうですね
ではまた来月(笑顔)
ーーーーーーーーー
なーんてね(笑顔)