心は自分じゃないんだ、ここから始まったノンデュアリティ。
ここから「心」を眺める感覚は、カウンセリングの勉強で大切だと教わった「俯瞰する自分」になる。
ただ
心を自分だと思ったまま「自分を俯瞰する」は、自分を無理に分裂させるから無理がある。
対処してる問題が複雑だと、この俯瞰はとても疲れる、続けていられない。だいたいリタイアしちゃう(笑)
ノンデュアリティは、そもそも自分なんか居ないと認識するから、俯瞰はし易い。
ただね、自分は居ないと切り捨てる姿勢では、ノンデュアリティは先に進まない。
心は他者の評価を気にする
これは「そういう仕組み」だから変えられないし、変える必要がない。
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心は自分じゃないんだ。このノンデュアリティを始めて産まれた「ボク」という個人は
一体となっている「心」が
「どんな評価を求め、どんな存在で他者と接していたいのか?」を知ろうと働いている。
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まさに「心」にとっての完全なる俯瞰を遂行している(笑)
精神医学の専門家は「このボク」をどう捉えるのだろう?精神医学の専門家と対話してみたい(笑)通院になるのか(笑)
ボクと一体になっている「心」は「他者とはソフトに関わり役に立ちたい」と思っている。
ガッツリ関係を持ちたいとは思っていない(笑)また「軽く扱われるのが嫌い」という傲慢さも持っている(笑)お金は少ないと困るみたい(笑)新NISAが上手くいっているのを喜んでいる(笑)
さて何が言いたいかというと
心を自分と思い込んだままでは「俯瞰」は不自然なので続けられないよ
という提案
また
「心」はハウ・ツーが大好き。「こうすればこうなる」が大好きです。
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ハウ・ツーは「心」のレジャーです
あなたのレジャーじゃない(笑)
心自身で苦悩を根治するのは
無理です(笑)
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ノンデュアリティに目が向かないとわからない話だろうな(笑)