今日はオンラインミーティングがあった。ここで会話している中で出てきた話。



心は自分じゃないんだ

ここから始まったノンデュアリティ



このノンデュアリティは生きることをゆたかにしてくれた。だから「ゆたかに生きるためのノンデュアリティ」と呼ぶことにした(笑)



ゆたかさを求めているのは「心」だ。私と心は別物で「空即是色の関係」だ。私即是心になる(笑)



山は素粒子の塊だ(笑)素粒子そのものなのに、山を素粒子とは呼ばない(笑)これと同じ。


ーーー

心は心だ

私だけど私じゃない


私は根源だ

根源に他者は居ない


同じものなのに

心には他者が居て

根源である私に

他者は居ない

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この普通ではキチガイじみた表現をブログに書ける(笑)ノンデュアリティが視えると、人によっては「危ない奴」になれるんだ(笑)



宇宙飛行士の野口聡一さんが著書で「宇宙には音がない。ここでは独りになる」みたいな話を語っていた。



コミュニケーションは「音」があるからできる。音とは「響き」だ。



宇宙には響きがない

空気がないからだ



孤独とは心が作り出した勘違いだとわかる。なぜなら「ここには空気がある」からだ。空気があるとは「響きがある」ということ。



空気があるから

コミュニケーションがある



自分が拒絶してるから「いまある響き」を無視する。これが孤独の正体になる。



空気がある限り「響き」は常に起きている。「響き」を「拒絶」で遮断するから「孤独」になる。孤独は心がイコジになり作っている。



ーーー

ノンデュアリティ

心は自分じゃない

私が自分だ


私に他者はないが

心には他者がある


私にコミュニケーションはないが

心にはコミュニケーションがある


心にコミュニケーションは

必要なんだ


だから私は

心のサポートをする


心がゆたかさを得るために

心にはゆたかさが必要だから


ゆたかさのない心は

他の心を傷つけるから

ーーー



心は自分じゃないんだで、自分と認識したところから外してみると



空っぽが現れる



この空っぽが根源のようだ。この空っぽを自分と認識すると「薄い膜」が現れる。



この薄い膜は

重たい蓋みたいな「心」を

理解する存在?

まあハイヤーセルフとか

呼ばれているものみたい(笑)



この薄い膜に「他者」は居ない

だから

薄い膜に言葉はない

響きがないんだ



響きがない

他者は居ない

これがハイヤーセルフだ



この薄い膜は

担当している?「心」とのみ

響きとは違う「繋がり」を有する

同調する(笑)みたいに表現できる


ーーー

表現は

重たい蓋みたいな「心」には

必要なんだ


言葉、文字、声、は

「心」には必要なものなんだ


コミュニケーション


心は「他の心」と繋がることが

とっても必要(笑)みたいだ

ーーー



ノンデュアリティは、自分と思い込んでいた「心」と「他の心」を繋ぐアイテムとしてかなり役にたつ。



対処療法でなく根治を目指せるアイテムになる(笑)



薄い膜に他者は居ない

居ないのに

うんうんと頷きあう空間を

感じるときがある



祓詞を唱えているとき

対話しているとき

薄い膜同士が

うんうんと頷きあってる

ときがある



他者が居ないのに

同調してる



平和とは

この空間にある

なにか?なのだろうと

今日思った



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どう生きるか