久しぶりに飛行機に乗った



奥入瀬、十和田神社、睡蓮沼、八甲田山、三内丸山遺跡、弘前音羽亭、岩木山神社、龍飛岬、青函トンネル、



岩木山神社は予定してなかったんだけど宿泊したドーミーイン弘前の眼前に広がる岩木山を見ていたら



寄りたくなった(笑)



いや〜〜〜雄大な社だった。大神神社とはまた違う雄大さで好きになった。ただ時間が押していたので「かけ足参拝」になった(笑)御祈祷受けたかったな〜男性の優しさって感じたご神気(笑)














岩木山神社から、やまなみロードで龍飛三崎をめざした。途中十三湖?を通った。海と湖に挟まれた「細〜い道」を通った。









あ〜ここも御神域なんだと思った。日本海沿いの田舎道はジュラシック・パークみたいな景色だった。プテラノドン飛んでたら似合う空間(笑)



御神域と言えば八甲田ロープウェイに向かう途中で立ち寄った「睡蓮沼」ここは本当に美しかった。



睡蓮沼は御神域というより「空間がノンデュアリティ」だった。









変わった打楽器の演奏が優しくて心地よかった(優)






御神域は「心が創作した空間」睡蓮沼は「心が理屈を止められる空間」このようにボクを構成している心はアウトプットした。



今回はなかったけど「御神域」に行くと「お前、誰やねん」となることがある





もともと心が創作した空間だから「身体を持たない心」が集まる。なので勘違い野郎も生息している。自分を神の使いだと思い込んでいたり、神様そのものだと思い込んでいたり、



お前、誰やねんな野郎も居る(笑)



最もらしいことを聞かせてくる

これが

お前誰やねんの特徴(笑)



ノンデュアリティを観た心は

話を聞けとは表現しない

路傍の標識みたいに表現する



ひとりで歌を詠んでいるように「個別の誰かに発信していない」



ひとり何気なく呟いた歌、これが聞けたときはラッキー!と、ボクを構成している心は反応する(笑)



身体を持っている心にとって「表現」は「共有できたら楽しいな」みたいなモノになるから、御神域に居る「それ」とは違う。



さこ先生の表現は「御神域に居るそれ」に似ていた。聞かせようがない表現だった。まだ生きてるのか?知らない。ごめんなさい。



ボクのような傲慢野郎を受け入れ、沢山話をさせてもらった。ありがとうございます。さこ先生はノンデュアリティを無意識に表現していた。






神社に居る「それ」も

人間なんだ

寂しさを抱えた

かよわき存在

共感して欲しい存在なんだ