ゾウとある意味以心伝心的な古株の飼育従業員が高齢で引退するのもあり、

※一部生前の画像はググりより。




当時ゾウが一頭もいなかった群馬サファリパークの川上氏が約一年を掛けてコンテナに入ったダイヤを無事群馬サファリパークの地に移送するが、
数ヶ月後に死亡。



やはり、竹馬の友のような友人、親のような人物と別れ異郷の地でのストレスには耐えれなかったようだ。

どんなに狭くてもご機嫌に過ごせるならば彼女にとっては幸せなヒトトキだったのであろう。

子ゾウ以外の移送はリスクが大き過ぎる。




昭平共に 30歳に届かず死なせてしまっているが、
昭平の死因は熱中症的なものだと推察。
冬季以外は当然ながら温泉(湯)は当は止めて沢の水を給水。
カバ自体の体温が36・5度ほどあり、いくら暑い地域の動物だと言えどもその土地の環境に順応し適応しようとするが、昨今の異常な暑さに直ぐに慣れれるものではない。
当時の別府市の気温を見るが、カバ舎は+2度はあったと考える。



更に真後ろには旅館も出来高くそびえ立つ壁もあり、風の流れも建物が出来る前より弱くなったと考える。

当時の水温を確認し市水で冷まさせる対応と適度な氷の提供、市水での放水、よしずをはり、日陰を作る、業務用の扇風機で送風するなどの対応が出来ていなかった事が悔やまれる。







山地獄のホームページには発表されていたが関心のあるものが少ないため、発表を知らずに山地獄を訪れる者も多い。


生まれは沖縄こどもの国。
父親は歯茎の化膿等で処置がうまく行かずに死亡。
母親ももえは現在も健全に娘の水美と共に生活中。






当時の山地獄での昭平への給餌は質素だと推察される。
なぜならオスカバにしては身体が細く小柄だからである。
親カバが太ければ大抵子も大柄に育つ。
平成元年、時代が時代だから、今迄が見世物としての飼い殺しとしても、昭平はどこの動物園にも負けないほどの人間らに見物され、海外の観光客の人々と国内の観光客らの記憶に残っている存在だと私は思っている。

昭平の存在にもう少し早く気付けばと悔やまれるが、まだ20代ともあり、長く付き合えるカバだと身内同然の存在であった。

だから、昭平をレポートしに行く時は常に全力である。
タローの時も当時ながら全力である。

こんなにも早く死亡するとはショックである。
40は越えてもらいたかったが環境が環境だから予期せぬことで命を落とす運命になるとは。











鳴き交わしが出来なかった昭平。
数万人の汚い手でジャガイモや人参を口に放り込まれた昭平。
俺はお前を尊敬する。




皮膚の疾患もなくなり、山地獄も地獄のツアーから脱会し客も激減し新たな従業員の登場で昭平も幸せなヒトトキを送っていたと思われる。

9割方、口をパカっと開いている昭平の姿しか見ていない人々ではあるが、
昭平もカバであるから、カバらしく陽気にはしゃいだり回転気味に横になったり跳ねたり日向ぼっこをしたり警戒したりする面も多く見せてくれていたものである。



閉園間際のこの風景がとても好きだった。
8時間のツーリングも昭平の楽しみでなんとかクリアー出来ていたものである。



昭平よ、苦しかったなぁ、よしよし、
よく頑張った。
ありがとう。
好きだったよ。



カバは暑さに強いイメージがあるが、
体温を下げる逃げ場がないと熱中症で死亡する。

また、寒さにも弱く水温6度で皮膚が裂け始める。