読者数ってあんまり気にした事が無いのですが
ブロ友さんが減る事覚悟で書きます




「私は、前世でよっぽど悪い事をしたんだ」


それが母の口癖でした
いつも自分を憐れみ卑下していました


20代でリウマチを発症し
私が物心つく頃には寝たり起きたりの生活


不自由な自分の身体を恥じて
世間との交流を絶ちました


父は根は優しく情に厚い親分肌の人でしたが
家庭内では気持ちを内向させては
お酒を飲み家族に当たり散らす人でした


家の中にはいつも一升ビンが
何本もあって嫌でした


今考えれば父自身も
親の愛情を受けずに育った事や
大戦の最前線で戦った事による
PTSDに苦しんでいたのだと思います


機嫌が悪いと幼い私や姉を殴り
身体の不自由な母を傷つける
酷い暴言を吐きました


面倒見の良い父に寄ってくる他人は
大体何かしら苦しんでいる人達
幸せな人や親戚は我が家と距離を置きました


そんな私には
楽しげな人達が
遠い世界の人間に思えました


いつも孤独で怯えて育った幼少期
私は言葉を発せなくなっていました


当然壮絶なイジメにもあい
そんな状態が小学校低学年まで続きました


成績優秀で生真面目すぎる姉は
大らかすぎる漁師町では異端児扱いで
私以上にイジメられました


小学校に入り
良い友達や先生に出会えたおかげで
ガラリと明るい性格に変わる事が出来
その後中学までは楽しい日々を送りました


でも、どこか心に歪があったのでしょう
高校に入った途端
環境の変化に対応出来ずまた
黒雲が心を覆い始めました


それ以来ずっと
鬱やら神経症やらが続くのです
人も社会も全部怖くなりました
でも
家族や友人にはそれを悟られたくなくて
無理やり明るく振る舞いました
当時の友人にそれを話しても
信じてもらえないんです笑


今の様に心療内科がある訳では無く
医療的な言葉も無い時代でしたし
不登校なんて一家の恥となる風潮でした


外で気を張っていましたので
家に帰るとその反動でぐったり動けなくなり
何事も手につかない状態でした


夢や恋愛も諦め
お付き合いも断ってしまいました


その後自分自身で自分の心と行動を矯正するのに
長い長い年月を要しました
でも今でも生きづらさを感じます
色々な場面で寂しさや恐怖感が強く出ます
薬のお世話にならないと日常が送れません


人間はコミュニケーションの生き物です
言葉や表情を失った者には
時に残酷な仕打ちが待っています


私は幼い頃から
嫌と言うほどそれを味わいました
人間の恐ろしい表裏も見ました


私の様なつまらない我が儘な人間だからこそ
神様が与えた試練だったのかな
とも思えます






孤独
虐待
恐怖
言葉で伝えられない辛さ
上から見下ろす冷たい目


あの子達を見ると
幼い頃の自分の姿が重なるんです
異常に固執してしまうのは
そのせいかもしれません


人間は何とか自分を守る術を持っています
どうにかこうにか生きて行ける気がします
死のうと思えば死ねます


でも、あの子達は…


幼い頃に受けた心の傷は
そうそう塞がるものではないです
ボラさん達皆さま苦労されてますもんね
でも純粋な動物たちは人間の愛情に
少しずつちゃんと応えてくれるんですね


長い年月が過ぎ
やっと見えてくる物ってあるんだなと
やっぱり無駄になる事は無いんだなと


目を逸らさないでください


小さな物言わぬ生き物達の
訴えを聞いてあげて下さい


辛いでしょうが
時々惨状を目にして
周りに拡散して下さい


私はアホですぐ忘れそうになるので
それこそ自分を戒める為に
辛いけど悲しい記事に時々目を通します






微力ながら





やれる事をやって行きます





長い文をお読みくださいまして
ありがとうございました😊