今回は何故かとんねるずと仲が良かった


昭和の大スター美空ひばりさん

(とんねるずが「お嬢」と呼んでいた)


との不思議なご縁について


書いてみたいと思います✏️

 

 

1980年代後半🇯🇵

 

若手芸人として駆け出し中だった💨


とんねるずに


ある日一本の電話がかかって来る📞

 

電話の主はあの昭和の大スター✴️

 

✨美空ひばり✨

 

ビックリするとんねるずを尻目に


愛車のリンカーンでとんねるずを連れ去り


ご機嫌で初対面なのに生歌を披露したそうな

 

 

その後仲良くなって度々自宅に呼ばれたり、

 

自ら差入れを持ってとんねるずの収録現場に


やって来たりしていたそうなんだけれども

 


当時歌も歌っていたとんねるずの


[雨の西麻布]を聞いた美空ひばりさんが

 

「私もこの曲を作った人に曲を作って貰いたい。」


と言う事で出来た曲が

 


美空ひばりさん最後の曲にして名曲

 

川の流れのように

 

(作詞:秋元康、作曲:見岳章)

 

なんですよね。

 

 

建前としては「息子の和也がファンだから」


と言う事にはなっているんだけれども、

 


当の和也さん曰く

 

「少ない休みの日には必ず一緒に


TVを見ていたんだけれども📺️

 

とんねるずの出ていた番組を見ていた時に


「あら、面白いわねぇ。」とおふくろの方が


会いたがっていたんですよね。」

 

だそうでw

 

 

会った時にはとんねるずが


バカな事をやって美空ひばりさんを


笑わせていたそうなんだけれども

 


このひばりさんの満面の笑みを見れば


相当楽しかったんだろうなと思うw

 

 

そんな関係も89年にひばりさんが


亡くなって終わりを迎える事に


なるんだけれども😢


 

何故か最後に病室を訪ねる事が許された


3組の中にとんねるずが入っているんだよね。

 

しかも葬儀の時には弔辞を読んでいるし。

 

 

昭和の大スターと


まだ駆け出し中の若手お笑い芸人と言う


不思議な組み合わせだったんだけれども、

 

何でこうなったのかと言うのが


視えたので書いてみます✏️

 

 

とんねるずの1コ前の前世


特攻隊員だったんだけれども✈️

 

(だから彼らは怖いもの知らずなんだよね💦)

 


その時の慰問で各地の基地をまわっていた


子供の頃の美空ひばりさんが


会っていないか?と言う


映像が視えるんですよね👀

 


ノリさん「お嬢ちゃん歌うまいね。」

 

タカさん「お兄ちゃんたちが敵をやっつけてやるんだからな❗️」

 

と言いながら相変わらずバカな事をやって


子供のひばりちゃんを


笑わせている姿が視えるw



だから初対面でイキナリ生歌を


披露したんだと思うんだよね🎤

 

 

その時の楽しかった記憶がひばりさんの


潜在意識の中で強く残っていて

 

自分が彼らの最後を見届けたように


今度は彼らに自分の最後を見届けてほしい


と無意識的に願ったのかもしれない😢


 

それで割と最後の方まで会う事が


出来たんじゃないのかな?と思う🤔

 

 

この感じだと今もとんねるずの事を


見守っていそうなんだよね😅

 

そして来世でもまた不思議な組み合わせで


出会う事になるんじゃないのかな?と思う🍀


 

 

※シータヒーリングと言う

 

スピリチュアルカウンセリング

 

みたいな事をやっています。

 

何か気になる事があれば

 

シータヒーリング ホルスの目まで

 

よろしくお願い致します🎵