あるニュースを見て感じたこと
ニュースの内容はこう
アメリカのある住宅街で大人数人と子供たちがアメリカンフットボールをして遊んでいた。
ありふれた光景に見えるが、実は大人たちは警察官
路上でアメリカンフットボールをして遊ぶ子供たちを見て、近隣の住民が警察に通報して駆けつけた警察官であったらしい
正直、私個人がこのニュースを見て最初に受けた印象は
「え、警察官何やってんの」
である
世の治安を守るための警察官が、勤務中に遊んでていいのか
という考えが少なからず浮かんだ
しかし、私が考えたことと同様のことを万人が考えてはいないようだ
そのニュースの結論としては、子供の親が警察官と子供たちの遊ぶ姿をインスタグラムに投稿した際に
2万件以上の「いいね」を記録したらしい
この一件を深く考えてみたい
そのような気持ちが沸き起こった
今回のこの警察の行動を見て、少なくとも2つの意見に分かれると思う
一つは私のように警察官の行動に否定的な意見、もう一つは肯定的な意見
何がこの違いを産んでいるのだろうか
1つ目は警察への認識感
私の認識の中では警察というものは厳しいというイメージがある
それは過去原付に乗っているときにさまざまにお世話になったり、
夜の公園でサッカーしているときにお世話になったり
いろんな経験をしてきたからである。(自業自得)
このニュースの中で描かれている警察官は「子供たちと遊ぶ、和やかな好青年」
私が今まで出会ってきた警察官とは違う(笑)
しかし、過去警察官に助けてもらった人、またはこのアメリカ警察官のような和やかな警察官
に出会った人は良いイメージを抱くだろう
つまりもともと自分がどのような認識を持っていたかによって
同じ行動に対する相手への印象が違うのである
2つめは大衆操作
今回の出来事に対して、意見は少なくとも2つに分かれると上記したが
付け加えるとすればどっちでもない人
無党派層といえばいいのだろうか
大衆の意見に流されて自らの意見を決めることである
今回最初にこの投稿に対していいねを押した人がいる
一度いいねを押すとSNSはそのいいねを拡散する方向に動き出す(インスタやったことないけど)
すると誰かがいいねを押しているという認識の上に、この投稿を見ると不思議と良いという認識の中で
物事を受け取る傾向はないだろうか?
少なくとも私にはある
誰かが良いと言ったものを自分で吟味することなく良いと判断すること
それはCMなどの商品戦略にも取られている手法であり
有名人が「これはいい」ということで多くの人の認識をそちらに向け購入を促す
人間の傾向をうまく利用した戦法である
ここまでで認識の違いを産む2つの理由について話してきたが
この2つを掛け合わせるならば意図的に自分と相反する考えを持つ人も覆すことができるのではないかという気もする
もし今回の投稿をした人と、情報操作をしたい警察官という構図が仮にあったとすれば(ないだろうけど)
ここ最近で起きた警察官の事件からイメージアップを狙って大衆の心を動かすこともできるかもしれない
投稿をした人がある一定人数の人と組み、いいねを付けたならばもしかしたら大衆の心を洗脳することすらできるのかもしれない
とまあこんな深夜にこんな野望論を語っているのだから自分は疲れているのであろう
この件に関して最終的に一つだけ言えるのは
真実な心でやっていることならいいと評価する人は現れるだろうし
嘘偽りでその行いをやっているならば、いつか暴かれるであろう
ということである