翔は泣きたくなっても自室では泣かないと決めていた。

泣き声を聞かれるかもしれないのが嫌だ。
泣き顔を見られるかもしれないのが嫌だ。
何より、泣くことであの女が喜ぶのが嫌だ。
泣いたことで、また跡取りにはふさわしくない。
ってほくそ笑むに決まってる。
そう考えていた。

だから、泣きたくなったら裏山に登る。
しめ縄が張ってあるその先。
大きな木の裏。
翔だけがわかる目印の枝の横から森に入る。
そこから、獣道とも言えないような路をしばらく歩いた先。
木に囲まれたぽっかりと空が見える空間がある。

寄りかかるのにちょうどいい感じの岩があって。
ふかふかとした苔がついている。
下生えはいつでもふわふわしてる。
空からの陽がこの空間だけは入るから。



初めて、ここに辿り着いたのは、いつのことだったのか?
翔にも確かな記憶は残っていない。
おそらくはまだ学校に上る前。

あの女に口汚く罵られて。
まだ、その頃はなぜそんな風に言われるのかすら理解できなかった。
それでも、あの女の前で泣くことだけはしたくなくって。

家を飛び出した。
誰も来ない場所を求めて、裏山へと立ち入った。

櫻井の家の者しか入れない、しめ縄の奥へ。



木々の間を縫うように進んだ先。
居心地のよさそうな空間を見つけたのは・・・


奇跡だったのか。
誰かが導いてくれたのか?


それすらももう覚えてはいない。