傷 | Life is fantastic journey

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日記・雑記・覚え書き

Facebookの強度行動障害のグループ投稿にあったもの。


(引用始)


おめめどうの拡散にあたり、一番障害となっているのが、ここ(画像)なんじゃないか、と思ってます。


(画像の文)

そのため、本人の生活が安定するように、自分自身の中身の充実をするように向けるためにも、「カレンダーやスケジュール」、それから「選択活動」「ルールやコミュニケーションの視覚化」などをしていくんです。

(終)



同じ話をしても、伝わってすぐ実践できる人たちは、わりと自分も好きなことして充実して生きている(きた)ように見える。


全く伝わらない人たちは、「私は我慢してるのに、なんで子どもの充実を最優先にしてやんなきやいけないのよ?」と思っているように見える。


そんなに深く付き合ってないから、背景を知らないことも多いんだけど、聞いた瞬間「ピンとこない」人って、


自分自身の人生を生きてない印象を受けることが多い。

(終)



☆コメントのやり取り


Dr. 

「強くなれ」という取り込み像が強かったり、インナーチャイルドが嫉妬するといじわるしますよね。


投稿主 

取り込み像って何ですか?初めて聞く単語です。


①嫉妬

②低空飛行が当たり前

③変化の仕方を知らない

などが重なると、辛そうだなーと思います。


Dr.

例えば厳格な親のウィークネスフォビア(障害をもっていたり、弱いとひどい目めにあう世界だぞという価値観)をとりこんでしまっているとか・・。

だいたい多重人格の「中の人」はざっくりインナーチャイルドと取り込み像に集約されます。


投稿主

ありがとうございます。

中の人に振り回されること、普通(だと思ってる)の人にでもありますよね。

ちゃんと勉強してみたいです。

おすすめ書籍などありましたら教えてください。


Dr.

「発達障がいとトラウマ: 理解してつながることから始める支援」

「その生きづらさ、発達性トラウマ? ポリヴェーガル理論で考える解放のヒント」

とか。



☆この記事全体へのDr.のコメント


理屈はわかってもできない場合に何を考えるか・・。

中の人が嫉妬していたり、邪魔していたり・・。

親の中の人の存在を認識して癒やしたり、対峙して成仏してもらうとがまず第一歩ですかね。



コメント


●親にも余裕が必要という事でしょうか?


Dr.

知識と余裕、癒やしと自分の人生が必要ですね。


◯幸せも不幸せも含めて自己選択して生きてきた自負はある。

大失敗も山ほどあった。

でも自己選択してきたからこそやっぱり納得感は常にある。

これからも自分で選択して行動していきたい。

とても疲れる事を人にお願いされてしたくない。

息子にもそうあってほしい。

同じような疑問について考察してくれてる人がいるのは嬉しい😊✨

私は何よりも

「私は望んで障害児産んでない」という所から抜け出せていない親が多いと思う。




障害受容の話は置いとくけれども、


人ってだいたいみんな何かしら心に「傷 」ってのがありますよ、えぇ、(笑)あると思うんです。

傷って表現しちゃうとたいそうに聞こえるけど、そんな大げさなもんじゃなくて。

トラウマ並みのを傷と表現するなら、ちょっとした心配ごとや悩みなんかは「吹き出物」くらいでいいと思うんだけど。

そういう自分自身の痛みを感じる原因が、ある程度解消されてないと、例えば上の場合は支援者としての仕事をするにあたり、目の前にいる人に対してバランスの良い適切なかかわり合いがしにくくなってしまうという話です。


かつての職場で、私は永い休みを取って旅行に行くようにしてたんですけど、それをよく思わない人ってのが上司にも、事業所のスタッフにもいたんですね。

何かしら文句をつけられてましたけど、結局それ、「私はこんなに忙しい思いして働いてるのに、あいつはなんだ!」とかいう気持ちなんですよ。

休めば良いんだけど、それが出来ない(実際は出来るんですよ)ので、そこからの因縁とかイチャモンになってたわけです。


支援の仕事で言えば、充分な選択肢を被支援者に持たすという場面でも、「私だって我慢してるんだからこの人が好きにするなんてズルい」となり、結果それが不適切支援を呼び込むことになるんです。一因としてね。


だから、自分自身も豊かでなくてはいけないんですよ。

金持ってるとかそういう意味なだけでなくね。


イガイガしてたらダメなんです。


だからまずは自分自身を平らに、穏やかにする方が先なわけです。


自分自身のご機嫌とりは、自分自身で出来ないと苦しみます。


今ね~、なかなかそれも難しい社会になってるからね。

その人一人だけの問題ではないんだけどね。




……それから、こっち。


 

 

過去の逆境体験がのちの人生に影響を与えるなんて知らなかったが、閉じ込めた感情、フリーズさせた怒りや悲しみはなくならないんだな。

怒りや悲しみをパワーに変えていると人間関係で問題が起きた時に過去の経験まで蘇って感情が暴走し、トラブルが絶えない。

過去と向き合い感情を昇華させるの大事だ。



大事だよね。


これを拾って連続ツイートしてる人がいました。


 

 

凄く大事な指摘。

何かをパワーに変えるというの、あれは実は邪道なのですよ。

特に怒りや悲しみをパワーに変えるというのは邪道で。

やってしまうとね、確かにパワーを得るのは容易いが、副作用が大きすぎる。

特に、自分自身にダメージが来る。

あれ、不正な燃料無理に燃やすとかと同じなので。

目の前にあるものが、本当に必要なのか、求めるべきものなのか、そういう事に集中していれば、そういう事は避ける事が出来る筈なんだけど、過去の出来事や違う筋での事に対する憎しみや怒りや悲しみからパワー引っ張って来るような事をやってるとね、歪みを貯めこむ事になりますよ。

危険だよ。

だから私は、

「なにくそ!と思わないのかッ!」

「悔しいと思わないのかッ!」

「見返してやりたいとは思わないのかッ!」

なんてけしかけは危険だと、常々言っているのですよ。

でも、これが効果的だと思い込んで教育にまで持ち込む人が今も大勢居る。

あれ、危険薬物みたいなもんですよ。

「純正の燃料で走ろう」

と私は表現するんですが、

目指すもの、求めるものに向かう心から発するエネルギーだけを使うようにするべきですよ。

すると、「それではエネルギーが足りない」と言う人が出て来るんですがね、それで十分なエネルギーが得られないって事は、必要ないって事なんですよ。

無理やりにエネルギーを絞り出し、怒りや憎しみや悲しみの力まで借りて来るなんて、そんな事をしなきゃならないってのは、それ、欲しくないし必要ないって事なんですよ。

そんなものに執着してるとね、本当に必要なもの欲しいもの大切なものを、見失う事になるんです。



 

 

本当にそう思います。

凍らせた&凍りついてしまった感情は無くならないです。

癒さないと、いつまでも、くすぶって悪さをします😣

傷がいつまでも治りきらなくて、ジクジクしている感じ...。


 

 

 

 

過去の怒りや悲しみが、現在の人間関係に再現されているだろうことがはっきりとは意識できないがおそらくそうなんだろうという感覚程度にはあります。



あるタレントさんが、フェミニストで社会活動してる人とちょっと揉めてるんだけど、このお二方はそもそもは方向性としては違ってはいないんですけど何故か対立してしまっている。

女性の人権を護るという到達点は一緒なのに。


ちょっとしたことではあるんですけどね。


活動家さんの姿勢がとても先鋭的で、攻撃性が高いんです。



普段の活動は立派ではあるものの、何故かちょっとでも相手とのズレが見えるとそれを激しく攻撃してしまう。

もともと対立する必要のない両者が対立するのって、本来の問題の素になってる敵を利するだけにしかならないんですけどね。



その活動家さんやお仲間さん、過去に大変な心の傷を追う辛いご経験があるとのことで。



「私と同じ思いをする人を増やしたくない」の思いは、本当に素晴らしいですけれども、上のツイートのように、そのアクションの燃料って………という話です。




この人もまた、

「癒されなくてはならない人」であるわけです。 



自分自身の内側に目をやるって、痛みを自覚しなければならない人には辛いんですよね。


避けては通れないんですけど。



人の心は複雑です。



まとまりないけど、

とりあえずね、


自分の傷を無自覚に武器にして、

誰かを傷つけないように、ってことです。