伊豆半島・車中泊の旅① | フーテンの無職 〜無職の大将放浪記〜

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日本社会のレールから外れて、気の向くまま風の向くままプラプラと、あてどもなく彷徨う。そんな刹那的な人生を邁進中。


人生、酒と旅と本があれば、それで良い・・・


 天気も上々。着替えを2、3枚と洗面用具、寝袋などを簡単に詰め込んで、特に急ぐでもなくゆるりとドライブに乗り出した。GWは朝から人出が多く、のんびりと下道を走っていたがどこも路上はかなりの渋滞。まあ、この天気なら仕方あるまい、と、ひとまず道の駅・伊豆ゲートウェイ函南にやってきた。










 さて、一体どんなルートで伊豆半島を回ろうかと思って、まずは観光案内所で地図と無料冊子をいくつか入手。

 伊豆半島は広大で、名所や道の駅などが各地に点在しているようだ。とても全部を回収しながら見て回るわけにはいかないだろう。しばし思案するが、まあそれらを適当に繋いでまわればいいやと気軽に考える。とりあえずハラが減ったのでコンビニで食料を調達する。私の車中泊の旅は、いつもこうしてカップヌードルから始まるのが定番だ。ちょうど昼時なので、館内の食事コーナーはどこも満席。なので私のようにベンチでコンビニ弁当を食べている観光客も多かった。




 道の駅の向かい側には「かねふく・めんたいパーク伊豆」が建っていたので、興味がてらちょっとだけ中を覗いてみる。どうやら中は普通の物産展のようらしく、これといって関心もないのでその場を後にする。しかし、後から知ったことだが、ここでは明太子製造の工場見学ができたらしい。一体どこにその入り口があったのだろう? すっかり見落としていたようだ。









 少々風は強いが、この胸のすくような春の空の下をドライブするのはまことに気分がいいものだ。しかし、道が混んでいるので流れは遅々として進まない。これは今日はたいして寄り道できないな、と思いながら地図に目を落とす。近くで寄れそうな所となると修善寺しか見当たらないので、ひとまずここを本日の目標地に定める。

 そこから更に南に行くと浄蓮の滝があるが、ルート的に半島のド真ん中をそのまま縦断してしまうのはあまりにも惜しい。その手前で西に進路を取り、海岸沿いをぐるりと南下して東へと回り込んでいくほうがずっと面白そうだ。





 修善寺に到着すると、通り沿いにはやたらと観光客の姿が目につく。どうやらここは伊豆の中でも一大観光スポットのようだ。ここがどんな場所かも知らずに来たマヌケオトコでまことに恐縮しつつも、なんとか空いている駐車場を見つけてクルマを滑り込ませる。4時間300円で、それ以降は1時間毎に100円だ。

 駐車場からさっそくブラブラ歩き出すと、なかなか風情のある町並みであることに気付く。なんだか京都のような町並みだなあと思っていると、どうやらここ修善寺は「伊豆の小京都」と呼ばれるらしい。





















 通りを歩いていると、様々なレトロな風景が視界に飛び込んでくる。こりゃあいい。散策が存分にたのしめるじゃないか。










 観光案内を見てみると、どうやらここ修善寺は、弘法大師である空海が創建した寺院が元になっているのだとか。それ以外にも鎌倉時代、源頼朝の弟である源範頼、それに頼朝の息子である源頼家、そして頼朝の妻・北条政子に縁のある地のようだ。急な階段を登っていくと、そこには源頼家と、その家臣13名の墓が鎮座していた。














 そして、その傍らには「指月殿(しげつでん)」が。これは頼家の冥福を祈って、北条政子が寄進した経堂で、これは伊豆最古の木造建築物だと言われている。内部にはハスの花を持った釈迦如来像が。この仏像は鎌倉時代に製作されたもので、なんと今から800年以上も前の年代物だ。由緒ある仏像だけに、ゆっくりと時間をかけてしげしげと眺める。



















 ここ修善寺は温泉街としても知られる。数々の温泉宿のほかにも、桂川沿いにはこうした足湯もあって、みんなのんびりと足湯に浸かりながら桂川沿いの景色をたのしんでいる。














 その桂川に突き出た一角には「独鈷の湯(とっこのゆ)」という、かつて弘法大師である空海が噴出させたという、修善寺温泉の発祥であり伊豆最古の温泉でもある足湯がある。かつては入浴もできたそうだが、今ではこうして足湯としてのみ浸かることが可能だ。散策での足の疲れを癒すには、こうした足湯が効果テキメンである。


















 日枝神社。修禅寺に隣接する、もとは修禅寺の鎮守であり、807年に弘法大師が創建した「山王社」が元であるといわれている。













 この神社の見どころは、何といっても巨大な杉の木にある。境内のあちこちに太くて立派な杉の木が林立しており、なかでも1つの根元から2本の杉が生えている「夫婦杉」が見ものだ。樹齢800年といわれる立派な杉の木を見ていると、自然や生命の力というものに圧倒されてしまう。





 そして日枝神社と同じく、弘法大師が創建した「修禅寺」。ここの地名は「修善寺」であり、お寺の名前とは「禅」と「善」の違いがあるが、どちらも呼び名は「しゅぜんじ」である。










 門の左右には、寺院に付き物である2体の金剛力士像が鎮座している。日本ではよく「仁王様」の名で親しまれているが、実はこの御二方、そのルーツはなんとギリシャ神話の英雄ヘラクレスである。






 紀元前4世紀、古代マケドニア王国の王であるアレクサンドロス大王の東方遠征により、その勢力はアフガニスタンからパキスタン、さらにはインダス川を越えてインドにまで達する勢いであった。その時に各地の植民都市にギリシャ人を入植させ、古代ギリシャ文化と古代オリエント文化が融合することによってヘレニズム文化が生まれた。





 その時にギリシャ彫刻の文化が根付くのだが、それが後にガンダーラ地方(アフガニスタン東部〜パキスタン北西部)の仏教美術にも取り込まれ、世に初めて仏像が生み出された時に、仏陀の守護神としてヴァジュラ・パーニという神がヘラクレスの姿で象られた。これが金剛力士像のルーツである。なぜヘラクレスなのかというと、ヘラクレスはギリシャ神話最強の英雄であり、仏陀の守護神を表すには最適な候補であったためと思われる。






 最初はヘラクレスそのままの姿で彫刻されていたヴァジュラ・パーニだが、仏像彫刻がガンダーラからインド、チベット、中国へと伝わっていく過程で、やがて甲冑を身につけて2体で表現されるようになり、それが日本に入って今の金剛力士像として定着した、というわけである。





 それ以外でも、ヘレニズム文化を世にもたらしたアレクサンドロス大王は、自身のことを「英雄ヘラクレスの末裔」であると自認し、常にヘラクレスを意識してその栄光を勝ち取ってきた。大王が発行した貨幣にもヘラクレスの横顔を彫刻するほどの熱の入れようである。ヘラクレスが仏陀の守護神として選ばれたのもそうして考えると自然な成り行きに思える。だって、これほど頼もしい用心棒は他にはいないのだから。










 閑話休題。ここ修禅寺が今の名で呼ばれるようになったのは鎌倉時代に入ってからのことで、それ以前に空海が807年に創建した当時は、周辺の地名が「桂谷」であったことから「桂谷山寺」と呼ばれていたようだ。「伊豆国禅院一千束」と正史に記されるほどの格式高い寺院で、鎌倉時代には源範頼と源頼家が幽閉され、そして殺害された寺院でもある。

 修禅寺の御本尊は木造大日如来坐像で、これは毎年11月1日から10日間、一般公開されるという。





 境内には宝物殿があり、貴重な資料が展示されているというので、拝観料300円払って中に入ってみた。こぢんまりとしてはいるが、どれも相当に貴重な展示物ばかりで、期待せず入ったのに反して、境内そっちのけで食い入るように見物してしまった。特に展示されている仏像に目を奪われた。













 日本に現存している由緒ある仏像は、だいたい青銅や木造製のものが多いが(まあ墓石屋のやつは置いといて…)、その中でもこれらの石仏は相当に古く、仏像の土台に彫り込まれた文字を見ると、なんと天保3年〜6年のものと書かれている。






 天保3〜6年は西暦553〜556年に相当する。ちなみに日本書紀によると、日本に仏教が伝来したのは西暦552年、飛鳥時代に百済の聖王から釈迦仏の金銅像と経論などが献上された時、とある。

 もしくは538年説、あるいは6世紀初め頃に、既に渡来人によってもたらされていた説、など多説あるが、少なくともこれらの石仏は、日本仏教の祖ともいわれる聖徳太子が生まれるより遥か以前に製作されたものである。日本に仏教が伝わってからほんの数年後〜数十年後と、歴史的にみて仏教伝来直後のものであることは間違いない。そんな貴重な仏像と、こんなところで(!)御対面できるとは思ってもみなかった。


 正直言って、「おいおい、マジかよ⁈」と思ってしまった。こんな貴重なモノを拝観料300円というタダ同然で見せてしまって本当によろしいのですか、と。このお寺の御本尊ですら、その数百年後に製作されたものですよ、と。なんなら弘法大師様が、このお寺を御創建なさるより二百数十年以上も昔に存在していた仏像ですよ、と。てゆーか聖徳太子サマもまだオギャアとすら言ってませんよ、と。



 なんだか色々と戦慄してしまって、コレほんとにこんなところに(!)置いといていいの? と、半ば呆気に取られつつも目が離せずに、仏像の前にずいぶんと長い時間佇んでしまった。






 これは弘法大師が製作したと云われるお地蔵さま。しかし、先ほどの仏像のインパクトが強すぎてすっかり霞んでしまう。「伝」とあるから、本当に弘法大師作なのかどうか信憑性はないが、信じる者は救われると云います。






 そして、これら貴重な展示物の中でもさらに嬉しかったのは、私が尊敬している山岡鉄舟の直筆の書が展示されていたことだ。山岡鉄舟のドキュメンタリーを何度も繰り返し観たり、谷中の全生庵に遠出して墓参りをしたり、そこの住職から頼みもしないのに勝手にサインされてしまった本を買って読んだりと、大の山岡鉄舟好きの私にとって、これは大いなるサプライズであった。


 もう嬉しくなってiPhoneでパシャパシャ写真を撮っていると、なんと館内はカメラ撮影禁止であることに今更ながら気づいた、というより気づいてしまった。…というか、ここまで来たらもう気づきたくなかった。なのでその他の展示物の写真はアリマセン。















 修禅寺を後にして一息つくと、もうすっかり日も傾きかけていることに気づいた。…さて、と。これからどうしようか? 今から他に行けそうなところはないかとGoogleマップを開くと、近くに「修善寺・虹の郷」なるものがあることに気づく。そこにはイギリス村やカナダ村、ロムニー鉄道、レイルウェイミュージアムなどがあるという。

 …なんだか面白そうじゃないか! 今ならまだ時間的にも間に合いそうだ。さっそく駐車場に戻って、クルマを飛ばして向かってみる。







 だが、実際到着してみるとなんてことはない。コドモ向けの単なるテーマパークであった。それでもせっかく来たのだからと入場しようと試みると、ナント入場料金オトナ1人1,220円! …フフフ、私がそんな大金払ってテーマパークなんぞに入るわけないダロ。ここで本日の観光がタイムアップしたことを悟る。






 せめてトイレに行ってから本日の寝ぐらを探そうと思ってトイレに入ると、中にはこんな張り紙が。…なんというか、男子トイレにこんな美少女キャラクターをあしらった張り紙をするのはいかがなものだろうか、と思うのは私だけだろうか?


 よくあるんですよ。ネットカフェなどに行くと、男子トイレの洗面台やら個室、あるいはちょうど便器の目の高さの位置に、ベタベタとドギツいアダルトな広告を貼り付けてあるパターンが。そういうのを連想してしまうわけですよ。だから変にモヤモヤというか、ムラムラというか、そんな気分が漂ってしまうのでありますね。だってトイレは性器を露出して排泄する空間ですから。


 まあ、これは厚生労働省の公式な張り紙で、卑猥性は一切ない健全なモノではあるのだけれど、どうして萌え美少女アニメキャラをそこに描く必要があるのかと私は小一時間問いたい。きっと女子トイレにも同じモノが貼ってあり、単なる「手をキレイに洗いましょう!」というだけのハナシなだけで、これを考案したヒトも、そしてここに貼り付けた人も、よこしまな気は一切ないのだろうけれど。

 ということは、つまりはまあ私自身のココロが醜く歪んでいるというわけで、なんだかとってもスミマセン、反省します、、、という気分になってしまうのでありました。