アディスアベバにたっぷり1週間滞在したあと、まずはエチオピア正教の聖地ラリベラに行くことにした。アディスアベバからは直行便はないので、ディセかウェルディアで乗り換えとなる。夜行バスが法律で禁じられているエチオピアでは、バスは基本的に早朝発のみ。なので朝4時には宿を出て、タクシーでバスの発着場であるマスカール・スクエアへと向かった。
エチオピアの長距離バスで有名なのは「スカイバス」と「サラムバス」だが、私はどちらもチケットを取得するには至らなかった。なので他の適当なバス会社を選ぶことにして、最終的にこの「WALYA BUS」でウェルディアまで行くことにした。
到着したバスを見てみると思った以上にしっかりとしており、wifiはないものの各席にUSB端子の挿入口がついておりモバイル端末を充電することができる。水とおやつも配られて、バスを調べてみると中国製であった。どうやらしっかりとしたバス会社で手配する長距離バスはどこも問題はなさそうだ。バスは定刻を20分ほど過ぎてから出発した。
早朝の朝焼けの中をバスはぐんぐん走っていく。アディスアベバは標高2400mほどの高所にあるので、出発してから2時間ほどは朝靄の中をゆるゆると進んでいくが、日が昇ると爽やかなエチオピア高原の景色が視界に飛び込んでくる。エジプトではどこへ行くにも夜行バスが基本だったので、早朝便しかないエチオピアでは丸一日かけての車窓の旅が楽しめそうだ。そう思うと自然と心が浮き足立ってくる。
山をのぼり谷を下り、数々の小さな村々を越えて、バスは北へと向けてひた走っていく。窓からは人々の素朴な生活風景が絶え間なく前から後ろへと流れていき、時折、路上では牧童に連れられたロバやラクダ、ヤギ、水牛などの群れが大挙をなしてバスの進行方向を遮っていく。そうした雑多な風景が過ぎ去ると、今度はふたたび山岳地帯特有の雄大な景色が視界いっぱいに広がってくる。それらをバスの座席に腰掛けながら、ゆったりとした気分で見守るのだ。
エチオピアのバスの移動は思っていたほど悪くない。こうした車窓からの風景は、旅の大いなるご馳走である。私は存分にこの贅沢な環境に舌鼓を打つのであった。
バスは早朝から6、7時間ほどをぶっ通しで走り続け、昼頃に30分ほどの食事休憩を挟んだあと、夕方の5時頃にウェルディアの町に到着した。最初は結構な速度で距離をかせいでいくので、これはもしかすると案外早く辿り着くかもしれないなと思ったが、ディセを過ぎたあたりからはグネグネの山道が延々と続いており、結局はアディスアベバを出てからウェルディアまで丸々12時間ほどかかってしまった。今日はウェルディアで1泊して、翌朝ラリベラ行きのミニバスに乗り込むのだ。
ウェルディアでは、一旦バスターミナルに下見に行ったあと、適当に目に付いたホテルの中へと飛び込んだ。部屋へと案内されると、レセプションの男がしきりに「本当に一人で寝るのか?」と尋ねてくる。このホテルは1階がバーになっている。なるほどここは連れ込み宿であるらしかった。試しに部屋の引き出しを開けてみると、案の定、コンドームの束が無造作に置いてあった。
シャワーもトイレも壊れているのに一泊200ブルとはなんとも高く感じたが、翌早朝には発つのでベッドに南京虫さえ出なければどこだっていいのだ。チェックイン後、ラリベラ行きの斡旋のために何度も部屋にやってくる男たちをやり過ごして早々に就寝する。
翌朝は3時30分に起床。4時過ぎに宿をチェックアウトして、1km先のバスターミナルへと徒歩で移動する。外は午前4時過ぎからポツポツと人やトゥクトゥクが行き交うようになっており、雰囲気的には特に危険はなさそうだ。街灯すらない暗闇の中を、懐中電灯を片手に慎重に歩いていく。人気のない暗闇であれば、現地人による煩いチャイナ攻撃に晒されないのでありがたいが、そのかわりに野犬の危険性がでてくる。何匹もの群れが眼前に姿を現わすと、さすがに生きた心地がしなかった。このたったの1kmが異様に長く感じる。
4時30分頃にバスターミナルに着くと、既に何人かの客がターミナルの開門を待っていた。空を見上げると月が煌々と輝き、北斗七星が夜空に臨めた。寒空の下に佇んでじっと待っていると、少しずつ人が増え始め、5時30分をまわる頃には門の前には夥しいほどの人集りができていた。
しばらくすると門が開き、そこへ待ってましたとばかりに群衆が一目散に目当てのバスへと駆け出していく様を見て、呆気にとられてしまった。さながら小学児童の運動会のようである。私もなんだかしらん、熱気にのまれつつラリベラ行きのバスを見つけだし、客引きに値段を尋ねると、荷物込みで150ブルだという。確か相場は70ブル+荷物運賃のはずだが、今はゆっくりと交渉に時間をかけている余裕はない。一番困るのは、乗り損じて置いてきぼりを食うことなので、そのまま言い値でバスに乗り込むことにした。
車内は既に乗車率120%を超えていた。座席はとっくに埋まっているので、バスの前方あたりの段差に、進行方向とは逆向きに腰をかけることとなった。エチオピアのローカルバスは満員発車が常である。立ち乗り客から通路に座り込む客まで、足の置き場にも困るほどのすし詰め状態になるまで決して発車することはない。どうやらエチオピアのローカルバスを少々ナメていたようだ。アディスアベバからウェルディアまでの優雅な車窓の旅は、今となっては夢物語となり、視界もきかずに人いきれでムンムンと立ち込める車内に心底ウンザリしてしまった。
ウェルディアからラリベラまでは最短距離で100キロ程度である。なのでせいぜい3時間もあれば着くだろうとタカを括っていたのだが、フタを開けてみると午前6時過ぎに出発したバスはノロノロと山道を喘ぐようにして走り続け、結局ラリベラに到着する頃には正午をとうに過ぎていた。たった100キロほどの距離を走るのに、延々と6時間もかけていたことになる。平均時速にすると約20キロにも満たない。何故だか途中の村落で、進路を封鎖しての荷物検査が2度あった。エチオピアはまだまだ政情不安であるらしい。
だがまあ、なんとかこうして無事にラリベラに到着したわけだ。それでいいことにしよう。ラリベラ近くの山道では、切り立った断崖をいくつも走り抜けてきたため、いつこのオンボロバスが崖下にルパンダイブするかとハラハラさせられたのである。帰り道ではもうあんな断崖はできれば通りたくはない。ひとまずホッと安堵の吐息をついて、そして新鮮な空気を胸いっぱいに吸い込んだ。あの窮屈なローカルバスからようやく解放されたのである。
清々しさに映える青々とした山並み。都会と違ってやっぱり田舎の自然はいいなあ! それにしても辺鄙なところに集落を築いたものだ。ラリベラに至るバスの道中で、アタマの中はすっかり「辺境」の二文字に埋め尽くされていたのだった。
坂道を登りきると、ラリベラでもっとも賑やかな大通りに出る。…といっても未舗装路のうえに、野菜や果物の露店がポツポツと立ち並んでいるだけの素朴なものだが。通りを歩いていると、なにぶん人が多いのであちこちからチャイナ! チャイナ!の大合唱が聞こえてくる。だがアディスアベバ滞在中にもこうしたチャイナコールは受けたものの、エチオピアでは今のところほとんど中国人の姿を見かけることはない。
中国からの経済支援を受けているので中国の認知度は高いものの、実際に中国人を見ることは少ないために珍しがられるのかもしれない。そういえばアフリカ各国には中国人のコロニーがあると聞くが、ここエチオピアにもチャイナタウンは存在しているのだろうか?
大通りを抜けて、目当てのホテルへと足早に歩いていく。私がラリベラで投宿するのはこの「Torpedo Tej Hotel」である。エチオピアではbooking.comなどのサイトでも宿泊施設の情報はあまり掲載されていない。その限られた情報のなかで、値段も評価も手頃なのがこのホテルだったのである。
シングル1泊16ドルでホットシャワー付き。wifiは庭先でのみ接続可能だ。探せばそれなりにローカルプライスな宿が見つかるのかもしれないが、私はこのラリベラに来ることをずっと楽しみにしていたので、多少お金をかけてでも、それなりに居心地のいい宿を確保しておこうと思ったのである。パッと見はなかなかの部屋に見えるのだが、とにかくこのホテルには蚊が多くて夜中には何処からともなくネズミが侵入してくるような有様であった。
しかしまあ、こうして念願のラリベラに来ることができたことを心の底から喜んでいる私であった。エチオピアの聖地ラリベラについては、私がまだ16歳の少年だった頃にTVの紀行番組で見たことがある。当時、ニッセイがスポンサーになっていたニッセイワールドドキュメント「世界謎紀行・神々のいたずら」という番組で、「失われたアーク(聖櫃)」を求めて、歌手のkontaがエチオピアのラリベラを旅するという内容であった。
当時の私はインディ・ジョーンズのような冒険モノや、オカルトや超古代文明、または超常現象系の雑誌である「ムー」などに傾倒しており、ノストラダムスの大予言にそれとなく期待を込めているような非現実的な少年だったので、そうした世界神秘紀行的な内容の番組を見ることを毎週心待ちにしていた。その頃にたまたま放送されていた「神々のいたずら」のエチオピア紀行を録画していたこともあって、そのアーク(聖櫃)を求めるエチオピアでの旅路をなんども繰り返し見ているうちに、いつしかエチオピアという国に興味をおぼえ、そして憧れるようにもなったのである。その放送を録画したカセットテープは未だに私の部屋の本棚の片隅にあるが、数年前に久しぶりに観てみようと思ったところ、VHSのデッキが壊れてしまったために結局観れずじまいになってしまった。
「神々のいたずら」はその後「神々の詩」というタイトルへと移行し、その後さらに「未来の瞳」へと受け継がれた。これらは姫神によるBGMが俊逸であるが、「神々のいたずら」以降はどちらかというと紀行よりも自然環境がテーマとなっていた。結局は「未来の瞳」が最後となって、そのニッセイグループの紀行ドキュメンタリーは終焉を迎えたのである。
番組ついでにいうと、これらの他にも1999年からNHK総合で「地球に乾杯」という番組が開始されたが、これも私にとっては素晴らしい内容の紀行番組であった。羽毛田丈史の奏でる美しい旋律が脳裏に焼きついている。私はここからも実に多くの旅のインスピレーションを得た。サンティアゴの巡礼路なる存在を知ったのもこの番組からであるし、ルーマニアの牧歌的な雰囲気や、グルジアといった数々の見知らぬ国への興味もこの「地球に乾杯」という番組より得たのであった。
だがそんな素敵な番組にもかかわらず、野球中継などに放送時間帯を翻弄され、結局は数年後に打ち切りとなってしまったことが未だに悔やまれてならない。この「地球に乾杯」の打ち切りが決定したのを知った時にはひどく落胆したものである。
そんな経緯があるものだから、私はこの少年時代に憧れたエチオピアの聖地ラリベラに到着した時には、もう踊り出さんばかりに浮き足立っていた。「神々のいたずら」のテーマ曲である春畑道哉の「Fantastic Place」が脳裏に響きわたり、姫神の「神々の詩」や、羽毛田丈史の「地球に乾杯」などが次々と頭の中で再生されていく。少年の頃の憧れが、今こうして22年越しに叶えられたのだ。当時観ていた番組の内容はもう記憶もおぼろげだが、私はとにかく「あのラリベラに来た」という事実だけでもう満足していたのだった。
そうやって私がココロを弾ませながら周囲の景色に見とれていると、どこからか私の姿を見つけた子供たちが元気よく集まってきた。エチオピアっ子はまったく物怖じすることがないらしい。矢継ぎ早に質問を浴びせかけてきて、そんな中、当然のように「あなたの子供はいくつ?」などと聞かれたので、「いや、私はまだシングルなんだ」と言うと、本当に気の毒そうな顔をして「アイム、ソー、ソーリー……!」と謝られてしまった。子供は時として大人以上に残酷である。
そうやって話をしている内に、子供たちからおずおずと1枚の紙を渡されて「実はラリベラの学校では、いま5人に1冊の割合で教科書を使用しているの。学校のライブラリーをもっと充実させたくて、いまあちこちから募金を募ってるんだけど、できれば少しでいいから私たちに協力してもらえると嬉しいな…!」と言われてしまった。
なるほどエチオピアの貧しさは十分見てとれるし、「アフリカの恵まれない子供たちへ」などというユニセフをはじめとした募金活動では、大抵エチオピアの子供たちの写真が使われている。そんなこともあって、私は「ウーム、そうだなあ…。子供たちには満足のいく教育が必要だよなぁ」と思い、ペンを片手に紙にサインをして、奮発して300ブルを募金することにした。人生は一日一善なのである。
この時はまだ疑いの余地はなかったのだが、そのあと何度も同様のケースで声をかけられるとあっては、さすがの私も「あ、もしかしてやられたかな?」と思わずにはいられなかった。だが、正確なところはなんとも言い難いものがある。実際に子供たちのみならず、制服を着た大人たちからも「ペンはないか?」と聞かれることも度々あるし、子供たちからもよくペンやノート代が欲しいとねだられた。しかもどうやら本当にペンとノートが足りていないようで、お店に行って買って欲しいと頼まれることも多々あった。
そんなわけで、こうしたことも踏まえた上で、私は疑うことをすっかりやめて「ま、いっか!」と思うことに決めた。細かいことはいいのだ。とにかく私は今、ひどく気分がいいのである。少しぐらいハッピーのお裾分けをしたってバチは当たらないだろう。
時刻はもう既に昼過ぎなので、ラリベラの岩窟教会群は明日見てまわることにして、今日はラリベラの村の中を軽く散歩する程度に留めておくことにした。ウェルディアからのバスで相当に消耗していたのだ。なにしろ早朝から飲まず食わずである。明日は一日がかりで外をまわることになるだろうから、少しでも体力を温存しておこうと思ったのだ。
木の枝の骨組みだけがそのまま残されている。昼過ぎなのですべて撤収したあとなのだろうか? それともマーケットが開かれる曜日が決まっているのかもしれない。まあラリベラには数日滞在するので慌てることはない。そのうち賑やかなマーケットの風景にお目にかかれるのを楽しみに待つことにしよう。
人気のないマーケットに佇んでいると、何処からともなくカワイイ女の子たちがやってきた。エチオピア人はエキゾチックでスタイルも良く、なかなかの美人揃いである。そしてやはりきめ細かに編み込んだ髪型が特徴的だ。表情もアジア人に似て、丸みと柔らかさがあるのでついついその笑顔に惹き込まれてしまう。
チビッ子たちは、遠くからでも私を見分けて、こちらに向かってすっ飛んで来る。子供は本当に好奇心のカタマリだ。顔や目のふちに集るハエをものともせずに、こちらを爛々とした瞳でじっと見つめてくる。そして小さな手を一所懸命に伸ばして、握手をしたくてたまらないといった様子だ。
こんな天真爛漫な子供たちを前に、私もついつい自分の歳も忘れて童心にかえってはしゃいでしまう。子供たちの「ホワッツ、ユア、ネーム?」から「ウェアー、アー、ユー、フロム?」に引き続き、数々の質問の束に対してこちらも満面の笑みで応える。そしてどちらからともなく握手を交わしてまた互いに笑い合う。こうしたひとつひとつのコミュニケーションがもう楽しくて仕方がないのだ。
そうやって、あちこちでひっきりなしにすれ違う人々と挨拶を交わしあっていると、流石にクタクタにくたびれてきた。そういえば今日はまだ何も口にしていないのだった。ラリベラのメインストリートに出て、適当な空いているレストランの軒先を潜ってみる。店員にインジェラはあるかと聞くと頷くので、ここでようやくエチオピア人の主食・インジェラを口にする機会に恵まれたのだった。1食35ブルで、丸テーブルいっぱいに広げられたインジェラの皿が供された。
さっそくそのスポンジ状のインジェラの生地を口に含んでみる。…ウム、確かにその見た目に反してかなり酸味が強い。インジェラの生地だけだと酸味が強すぎる感じだが、それを皿に盛られた数々の具を巻いて食べると、その強い酸味がスッと口の中で中和されて、いくらでも食べられる。そしてそれがまたうまいのだ。
具の味付けも種類豊富なので食べていて飽きないし、たまに青トウガラシをそのまま齧ると、舌の上がピリッと締まってこれがいいアクセントになる。インジェラ一皿で具も盛りだくさん、栄養豊富で満腹にだってなれる。いやはや、なかなかどうしてインジェラは私と相性バッチリの料理なのであった。
満腹になった腹をさすりながら、黄昏ゆくラリベラの山並みを遠巻きに眺める。心身ともに、まさに満腹・満足の一日である。エチオピアの聖地ラリベラは、オノレの旅ゴコロまでをも満たしてくれる、そんな私の旅の聖地でもあるようだった。