- 天翔る白日―小説 大津皇子 (中公文庫)/黒岩 重吾
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古代史をテーマに数多くの物語を書かれた黒岩重吾氏の作品。
ここのところ、黒岩氏の作品にはまっています。
インタビュー形式で古代史を語る「古代史への旅」から始まり、
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その次に読んだのが、蘇我入鹿を主人公にした「落日の王子」
- 落日の王子―蘇我入鹿 (上) (文春文庫 (182‐19))/黒岩 重吾
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- 落日の王子―蘇我入鹿 (下) (文春文庫 (182‐20))/黒岩 重吾
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そして3作目が「天翔る白日」
天武天皇の二男(正史では三男と言われている)である大津皇子を主人公とした物語です。
大津皇子は、天武天皇の数多いる皇子皇女の中でも、私がとりわけ好きな皇子の一人です。
日本最古の漢詩集「懐風藻」によると、
「状貌魁梧、器宇峻遠、幼年にして学を好み、博覧にしてよく文を属す。壮なるにおよびて武を愛し、多力にしてよく剣を撃つ。性すこぶる放蕩にして、法度に拘わらず、節を降して士を礼す。これによりて人多く付託す」
と、その人物像が記述されております。
要約すると、
ルールにとらわれない自由奔放な性格で、学識、武術ともに優れ、体格も立派で容姿も美しい、
統率力もあって人望も厚い
本当に素晴らしく魅力あふれる皇子だったようです。
また、人物像だけでなく、その短い人生も本当にドラマティック!
幼少時の実母との死別
伊勢の斎宮に任命された同母姉、大伯皇女(たっと二人の姉弟だった!)との別れ
草壁皇子(鸕野讃良皇女(後の持統天皇)の実子)との皇太子争い
大名児をめぐる草壁皇子との恋の争い
親友 川島皇子の裏切り
そして、謀反の罪を被せられ処刑されるという悲劇的な結末(この時まだ25歳)
そのどれもがちょっと出来過ぎでは?と思うくらいドラマティック!です。
これだけ魅力あふれる人物、そして人生なのだから、もっと彼を主人公にした物語
が生まれてもよいのでは?と思うのですが、
注目度がやや低いようで残念です・・・・・(_ _。)
大津皇子は万葉集にもすばらしい歌を残しています。
下記は、草壁皇子から奪い取った大名児との相聞歌。
あしひきの
山のしずくに
妹待つと
我が立ち濡れし
山のしずくに 大津皇子(巻二 一〇七)
- これに対する大名児(石川郎女)の返歌はこちら。
-
吾を待つと
君が濡れけむ
あしひきの
山のしずくに
成らましものを 石川郎女(巻二 一〇八)
この二首は、「天翔る白日」の中でも紹介されており、
一〇七の大津の歌について、
「艶と迫真力に満ちているだけでなく、現在おかれている大津の立場が滲み出ている。」
と黒岩氏は書いておられます。
この事を念頭におきながら詠んでみると、本当に大津の心情が胸に迫ってくるようです。
当時、不本意ながらも草壁皇子の妻となっていた大名児(大名児は元々大津に心
を寄せていた)との恋を成就させることは、そう簡単なことではなかったでしょう。
結ばれるまで長い年月を要しただろうし、その間、大津は恋だけでなく、政局においても
次第に皇后(鸕野讃良皇女(後の持統天皇))に追い詰められていく自身の立場に悩み、
そして耐えていた、そんな大津の心情が伝わってくる歌なのです。
一〇八の大名児の歌の意味は、
私を待つとて、あなたがお濡れになったという山のしずくに私はなりたいものです
(万葉集(一) 中西進 より)
というものですが、
-
この歌に関して黒岩氏は、
「天皇(天武)が病み、大津の立場が急変したことを大名児はよく知っており、
大津の悩みをできれば自分が被りたい、と訴えているのだ。しずくをたんに男女の
愛情だと解釈してはならない。」
と書かれています。
おそらく大名児という女性は、美しいだけでなく、自分の意志を持った強い女性
だったのでしょう。
ちなみに余談ですが、
大津皇子は25歳で亡くなりますが、大名児はそのずっと後、別の相手に
老いらくの恋の歌を贈っていて、万葉集に残っています。
古りにし
嫗にしてや
かくばかり
恋に沈まむ
手童の如 石川郎女(巻二 一二九)
意味は、
もう物のわかった老女だと思っていましたのに、これほどの恋しさに心も
沈むのでしょうか、まるで幼女のように
というものです。
この歌を贈った相手は、当時20代だったピチピチの若者、大伴宿奈麻呂では?
と言われています。
以前のブログでもご紹介した、大伴坂上郎女のご主人です。
宿奈麻呂が坂上郎女と結婚する前の恋愛でした。
草壁と大津の間の愛のからみをくぐりぬけ、そして老いてからは
若い年下の男性と恋に落ちる
うーん、大名児の人生も大津に負けないくらいドラマティック!
当時の大名児の正確な年齢がわからないのが残念ですが、
きっと老いても魅力あふれる女性だったのでしょう。 羨ましい限りです(・∀・)
話を元に戻しましょう(;^_^A
大津皇子を語る上で、欠かせない存在が、同母姉の大伯皇女です。
彼女もまた、万葉集に素晴らしい歌を残しています。
最も有名な歌がこちらの二首
わが背子を
大和へ遣ると
さ夜深けて
暁露に
わが立ち濡れし 大伯皇女(巻二 一〇五)
二人行けど
行き過ぎ難き
秋山を
いかにか君が
独り越ゆらむ 大伯皇女(巻二 一〇六)
-
謀反の罪を被せられる直前、自分の運命を予感していたのか、
大津皇子は男子禁制の伊勢神宮に姉を訪れました。
その帰り、大津を見送る時に、大伯皇女が詠んだのがこの二首です。
暁露にわが立ち濡れし~なんて、どれだけ長い間見送っていたのでしょうか?
あるいはこの時、大伯も大津の運命を予感していたのかもしれません。
彼女の不安な気持ちが滲み出て、詠む者の胸に迫ります。
私の好きな歌はこちら。
うつそみの
人にあるわれや
明日よりは
二上山を
弟世とわが見む 大伯皇女(巻二 一六五)
意味は、
現し身の人である私は、明日からは二上山を我が弟と見ようか
というものです。
大津が死亡して数年後、大津の墓が二上山に遷された時に詠んだ歌です。
現実の世に大津はいないけれど、二上山を見ればそこにはいつも大津がいるのだからと
大伯は自分に言いきかせたのではないでしょうか?
彼女の深い悲しみと、寂しさが伝わる歌ですね~
大伯はこの他にも三首、万葉集に歌を残していますが、
そのどれもが、大津を思って詠んだものです。
母を早くに亡くした二人だからでしょうか?
普通の姉弟よりもうんと強い絆が感じられます。
そして、伊勢の斎宮として長い間男性との接触を絶たれていた
大伯の純粋さも。
- おそらく大伯にとって、大津は自慢の弟であると同時に、
- 憧れの男性、理想の男性でもあったのでしょう。
大津皇子に関しては、その魅力的すぎる人物像のため、語りたい事が
たくさんあるのですが、
あまり長引くとまとまらなくなるのでf^_^;
最後に、彼の臨刑歌を紹介して終わりにしようと思います。
ももづたふ
磐余の池に
鳴く鴨を
今日のみ見てや
雲隠りなむ 大津皇子(巻三 四一六)
歌だけを詠むと、死を前にして覚悟を決めている大津が想像できますよね~
しかし、
詞書に、「涕を流して作りませる御歌」とあり、
ちょっと意外な感じがします。
たとえ大津が本当に涕を流したとしても、
おそらく彼は、死を前にしてもあがいたりもがいたりせず、
最期まで毅然として、死に臨んだのではと思います。
大津ファンの私としては、そう思うことがせめてもの救いです。
いつか二上山のお墓に行って、手をあわせたいですね~
-
そして、千年以上後の世にも、大津の心は残っていることを知らせたいですね~