鎌倉行き以来、ずっと岡村靖幸を聴いている。
名盤「家庭教師」の2曲目を飾る、永遠の名曲。

こんなんでいいのかわからないけれど
どんなものでも君にかないやしない

あの頃の僕はこの曲を聴いて、いつか訪れるどんなものでもかないやしないような人との出会いを思い、胸を熱くしていたな。
あれからだいぶ時が過ぎて、どうだったろう?なんて考えてみる。

優勝出来なかったスポーツマンみたいにちっちゃな根性を振り絞った恋愛は、いとも容易く砕け散った。
今では六本木でカルアミルクを飲みながら仲直りすることもままならないほど、彼女は遠くへ行ってしまった。
だからって訳じゃないが、もうカルアミルクは飲まない。
先日の藤沢のBARでも、2杯目に飲んだのはジン・ビームのバーボンソーダだった。

因みにジン・ビームにも若かりし日の思い出があるが、それはまた別の話。

そうだ。僕はもうバーボンソーダを美味しいと思うほど、いつしかこの曲の時代を通り越していた。あの頃思い描いていた未来を、すっかり過去にして。

馬鹿げだプライドから抜け出せずに大事なものを失う程の若さも、今はもうない。
なのに、いや、だからこそ、今この曲が胸に突き刺さる。
まさかこの曲が追憶への扉になる日が来ようとは!

ただ勘違いされては困るのだが、その追憶に身を任せて、今の自分を哀れんだりすることはない。
感傷は努力の末、博物館の展示品となった。
言ってみれば、今の僕は、出征して行く学徒を日の丸を振って見送る老人のような気分だ。
少し生き急ぐ、と云うより、老い急ぎ過ぎたかもしれない。でももうそれでいい。

もし僕が猶予された死者なのだとすれば、この曲は僕の葬儀に流れる、予約されたレクイエムの一曲、といったところかな?

そんな戯言はともかく、時代を越えて僕が愛して止まない、永遠の一曲デス。