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国立(くにたち)昭和大衆音楽同好会

昭和(1926〜1989年)のジャズ、ブルース、ラテン、ロックなどの音楽を独断と偏見で紹介!

 2月22日(木)に国立ノートランクスで開催された、国立(くにたち)昭和大衆音楽同好会vol.5の報告です。

 遅くなりましたが、後半は後藤敏章のルイ・ジョーダン選曲&コメントです。

 

 

■後藤敏章のルイ・ジョーダン選曲&コメント

 

 ルイ・ジョーダン&ティンパニー・ファイヴの音楽を「ロックンロールとR&Bの元祖」「ジャズとロックンロールの過渡期」みたいな評価をする人は多く、それは決して間違いではないかもしれないが、どうもスッキリしないモヤモヤした感じが残る。「ジャンプ・ブルース」というジャンルに括ってしまうのも違和感がある。それよりは例えば「飛び跳ねるような、ジャズとR&Bを一緒くたにしたような音楽」というジェームズ・ブラウンのストレートなジョーダン評などのほうがしっくりくる。いずれにしても、1940年代後半のアメリカでヒット曲を連発したアメリカ黒人音楽の大スターでありながら、ジャズ方面でもブルース方面でもあまりに語られなさすぎて、ルイ・ジョーダンを的確に表す言葉が歴史のなかで生まれていないということか。まあ聴かないでああだこうだ語っても仕方がないので、ルイ・ジョーダンの全盛期音源をあらためていろいろ聴きはじめてみた。以下の選曲は、現在の自分なりのルイ・ジョーダンの音楽の捉え方(根拠なしの妄想も多数笑)を表していると思う。

 

①On The Sunny Side Of The Street (Live 1949年)

②On The Sunny Side Of The Street / Lionel Hampton(1937年)

 

 ルイ・ジョーダンは1908年生まれ。キャブ・キャロウェイやカウント・ベイシーやベニー・グッドマンといった30年代に台頭したビッグバンド時代のジャズマンと同世代。ジョーダンと同い年で最も有名どころがライオネル・ハンプトン(vib,p,vo)。ジャズの名門楽団でブレイクし後のR&Bにつながる音楽をつくったというところで両者は歴史でのポジションが似ている。①での“表通りで”は②のハンプトン・ヴァージョンに範をとっている。30年代後半のハンプトンの一連のRCAスモール・コンボ・セッションをルイ・ジョーダンはだいぶ参考にしていたのではないかと想像させる。この“表通りで”は、ファッツ・ウォーラー作曲という説もあり、ハンプトンからの影響?と合わせて、1930年代の都市部アメリカ黒人のジャズ~ジャイヴの流れがジョーダンの音楽のベースにあるということにつながっていく。

 もうひとつ、②のアルトサックスはデューク・エリントン楽団のジョニー・ホッジズ。ティンパニー・ファイヴのアレンジャー&ピアニストだったワイルド・ビル・デイビスは後に、70年頃の後期エリントン楽団にアレンジャー兼オルガンで加入している。というわけで、エリントン、ルイ・ジョーダン、ライオネル・ハンプトン、ファッツ・ウォーラーなどなど、この二つの音源だけでもアメリカの「ジャズ」の歴史の大きな流れが知れる。

 

③It's So Easy (1946年)④Don't Let The Sun Catch You Crying (1946年)⑤That Chick's Too Young To Fry(1946年)⑥That Chick's Too Young To Fry / Bill Samuels (1945年)

⑦Five Guys Named Moe (Live 1949年)

 

  第二次世界大戦終了を境に、ルイ・ジョーダン&ティンパニー・ファイヴの音楽はグッと勢いが出てメジャー感溢れるサウンドになる。このあたりからヒット曲を量産する。前述したワイルド・ビル・デイビスがアレンジャーとピアノで加入し、ギタリストのカール・ホーガンが加入したこともバンドのレベルアップの要因ではないかと推測される。この二人はカンザス・シティなどの南西部ジャズ出身。チャーリー・パーカーら多くの才能を生んだ戦前の南西部のジャズ・シーンとジョーダンの音楽のつながりを考えるのも有効かもしれない。

  ③の作曲はドリス・フィッシャーという売れっ子の白人女性の作曲家で、彼女はインク・スポッツ、ビリー・ホリデイ、アンドリュー・シスターズなどにヒット曲を提供した。④は後にレイ・チャールズやポール・マッカートニーもカヴァーした。滑らかな歌い回し・甘い声のジョーダンのヴォーカルの魅力はこの二曲で伝わると思う。

  ⑤はジョーダン代表曲「チュー・チュー・チ・ブギ」シングル盤のカップリング。高速のリズムに乗せるジョーダンの巧みな歌と叫ぶアルト、流麗なピアノ、柔らかいトーンでリズミカルなギター、そして盛り上げるホーン・アレンジなどなど2分30秒弱のあいだに聴きどころ満載の曲。基調としてはジャズ。ジョーダンがこれを基にしたのか不明ではあるが、ジョーダン録音の1か月前にビル・サムエルズというシカゴの黒人ミュージシャンが同曲を録音している(⑥)。こちらはナット・キング・コールのようなカクテル・ブルーズ風。比較すると、ジョーダンの音楽のかっちりしたアレンジ、バンドのスピード感、クールなヴォーカルなどは当時の黒人音楽としてはなかなか新鮮だったのではないかと思われる。

  スタジオレコーディングでのしっかりしたサウンドづくりと比較してライヴではどうだったかということで⑦。かなり熱い。BPMもスタジオ盤の1.3倍ぐらいあるのでは?ソロも煽るし、ライヴの盛り上がり感も尋常じゃなかったのではないか。

 

⑧Inflation Blues (1947年)⑨We Can't Agree (1947年)⑩Ain't That Just Like A Woman (1946年)

 

  音楽教師兼ミュージシャンの父親に幼い頃から教えを受け一時期大学で音楽を学んだりと、音楽理論に通じていたジョーダンは、1930-40年代の典型的な都市部のジャズ・ミュージシャンだったと言っていいのかもしれない。生粋のブルーズのミュージシャンというわけではなかった彼だが、ブルーズはめちゃくちゃうまかった。

  ⑧のアルトの力強さはジョニー・ホッジズにも通ずる。ヴォーカルも実に流暢。B.B.キングもカヴァーした⑨のアレンジと音の響きのクールさは、後のマイルス・デイビス「カインド・オブ・ブルー」あたりに直結するのでは(妄想)?そしてチャック・ベリーがまんまギター・フレーズを頂戴した⑩はグニョグニョした音のグルーヴも新鮮。この言葉の重ね方は、後のボブ・ディランもだいぶパクっているのでは?

 

⑪I'll Never Be Free /Kay Starr&Ernie Ford(1950年)⑫I'll Never Be Free with Ella Fitzgerald(50年)

⑬Barnyard Boogie(1947年)

 

  前回のルイ・ジョーダン特集で後藤幸浩さんが言及したように、ジョーダン代表曲「チュー・チュー・チ・ブギ」(1946年)の作者は白人のカントリー&ウェスタン畑の作家。この辺りはなかなか語られないが、当時のアメリカの黒人音楽とカントリーとポップスの関係は探求しがいがあると思う。

  人気歌手二人が歌い大ヒットした⑪はカントリー調のポップス。ビヨ〜〜ンというスティール・ギターが気持ち良い。同じ曲を黒人歌手のルイ・ジョーダンとエラ・フィッツジェラルドが歌う⑫。こちらはジャズのアレンジで陰りが生まれ、なかなかジーンと胸に染みる。この流れで聴くとよく分かるが、強烈なブギウギ⑬の後半のギターはカントリーのスティール・ギターそのもの。黒人音楽も白人の音楽も(あとラテンも)、とにかくこの時代のアメリカの音楽はまだまだ掘りがいがある。

 

⑭Tamburitza Boogie(1950年) ⑮Tear Drops From My Eyes(1950年)

 

  最後は、後のアメリカ黒人音楽の主流となるソウル・ミュージックへのジョーダンの影響について、妄想もまじえて笑。

  ワイルド・ビル・デイビスのオルガンも気持ちいい⑭。ここで大きくフューチャーされているタンバリンの響きは、後年のモータウン・サウンドにつながっていく(妄想、適当)。そして⑮は初期アトランティック・レーベルを代表する歌手ルース・ブラウンのヒット曲カヴァー。

  モータウンは妄想だが、アトランティック・レーベルに関してはルイ・ジョーダンの影響が大きいのは間違いない。レーベルの顔になるレイ・チャールズもジョーダンのカヴァーを多くやっている。そしてアトランティックを支えた名プロデューサーのジェリー・ウェクスラーは自伝で、ジョーダンの40年代の功績についてこう絶賛している。「彼は本物のミュージシャンだった。〜(中略)〜 小グループの概念を研いで磨きをかけたのは、ジャズのハーモニー的洗練とブルースに息づく民衆の機知をひとつにしたのは、ルイ・ジョーダンにほかならない」、さすがジェリー・ウェクスラー、私の長文・駄文の良い締めの言葉となりました。ありがとうございます。