目に見えないものだけど感じるものって結構あります。
身近なものでは「空気」「香り」「きもち」…そして「疲労」です。
生物には様々な感覚器が備わっていて、いわゆる五感と呼ばれる感覚。
光をとらえる「目」
音をとらえる「耳」
そして、匂いをとらえる「鼻」
空気の温度をとらえる「皮膚」
味覚をとらえる「口(舌)」
それぞれの、感覚器から発した信号は脳の「感覚野」と呼ばれるところに
刹那的スピードで刺激となって伝わり、
また、刹那に分析されて光(画像)とか音(声)とかの区別がなされます。
それに連動して、その事に対しての好き嫌いの感情も同時に発生します。
それは脳に積み重ねられた記憶の中からピックアップされて来るのです。
ただし、光をとらえる「目」は、真っ暗闇の中に放り込まれると
「肉眼で状況を捉える事はできなくなる」。そうなると、さあ大変!
「身体に触れないと自分自身の存在すら判らなくなる」のです。
さて、「疲れ」ですが、どんなことをいうの? エネルギー切れと言うこと?と思う方も多いでしょう。
頭と体が動くだけのためのエネルギー切れなら、食べる事によって回復できるのですが、
栄養を補給したって回復しない時もあります。
”疲労”は”疲労感”とほぼ同義語で使われていますが、
実は”疲労”と”疲労感”とはまったく異なるものなのです。
往々としてつまらない単純作業はすぐに飽きて疲れてしまいますが、
やりがいのある仕事や楽しい作業は総じて疲労感は少ないものです。
統計で見ると達成感のある仕事をしている人に過労死が多いのです。
これはやりがいのある仕事は達成感を生むのですが、
この達成感が疲労感をカバーしてしまい、その結果、
”疲労感なき疲労” あるいは”疲労なき疲労感”が蓄積し、
過労死に至らしめてしまうのです。
疲労の定義とは”身体的あるいは精神的負荷を連続して与えられたときにみられる
≪一時的な身体的および精神的パフォーマンスの低下現象≫
あの「あっ、固まった」です![]()
原因は、睡眠不足、休息の質やバランス、水分コントロールの緩慢、労働下の環境状況
人間関係の問題 などなど、心身のストレスの負担の結果と言ってよいでしょう。
疲労は個々の体質、気質、スタミナ、によって様々な為、
私はどのくらい疲れているのだという数字的な目安がありません。
疲労の研究者のレポートに目安となるパターンがありました。
1.人は疲れてくると刺激に対する反応が遅くなる。
2.思考力が低下し、注意力が散漫になる。
3.動作が緩慢で行動量が低下する、などの変化がみられる。
どれか当てはまれば疲労信号が点滅していると思ってよいのではないでしょうか。
そして、疲労を疲労感だけで推し量るのは大変危険です。
「身体に触れないと自分自身の存在すら判らなくなる」に似ていませんか。
質の良いマッサージを人から受けることは、ある意味、自分の輪郭を意識できますし、
客観的に自分がどのようなところに力が入っていたのかを知る事ができ、
相性がよく、心地よければ速やかにリセットできます。
誰の身体ではなく、今生一度しか使えない大切なお体です![]()
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「大切なものは目に見えない」。
できれば、其の時が来るまで、美味しいものを美味しく食べていただきたいし、
美しいもの、感動するものをご自分の足で見に行ったり、
ワクワクを体験できるお体でいていただきたいと願って止みません![]()