先日、愛知県でサービス付高齢者向け住宅を展開されている方の講演会を聞きに行きました。

その帰り道に、本屋によって、ビジネス書のコーナーで立ち読みしていたら、ある本に『講演会、養成講座、人材交流会はビジネスマンの三悪』という見出しが目に入り、おもわずじっくり読んでしまいました。

『人は自分が期待するほど、自分を見てはくれないが、がっかりするほどみていなくはない』という、ちょっと型破りなタイトルの本であり、著者は、幻冬舎の見城徹氏とサイバーエージェントの藤田晋氏です。

見城氏は、「講演会、養成講座、人材交流会は、人をダメにする三悪である。僕はその名前を聞いただけで、吐き気を催す。」と徹底的にこの三つを忌み嫌い、講演を聞いて人生を変えようなんて他力本願であり、人と人は必然性によって出会うものであり単なる名刺交換は無意味、さらには養成講座なんて主催者側の金儲けと切って捨ていました。

たった今、講演会を聞いて来た自分としては、少々自己嫌悪に落ちかけましたが、次のページには、藤田氏が、『僕は、講演会は行く価値があると思います。』と正反対の意見を書いています。

藤田氏の主張は、講演会には暇な人がいっている、勉強ばかりしているというイメージがあるかも知れないが、忙しいビジネスマンや脂が乗っている時こそ行くべきであり、気づくことや得るものが沢山あるはず、というもの。

この本は、全章、こんな感じで、見城氏のとても過激な考え方に対し、藤田氏は、賛同することは賛同し、反対することは明確に反対し、そして自分の考えをきちんと述べています。

藤田氏の素晴らしいところは、米国のディベートみたいな、「どっちが正しい」とか「どっちの主張が勝ち」というやり方ではなく、見城氏の主張に理解を示しながら、自分の考えを述べ、そして二つの意見を対立軸でなく、両方が併存できるようにまとめるという、調整能力ではないかと思います。

その真骨頂が発揮されたのが、会議についてであり、見城氏は「会議には、懐疑的」と会議無用論を主張したのに対し、藤田氏は、1日中会議をしていて、同社の素晴らしいアイディアは会議から生まれたと、会議賛成の立場です。

藤田氏は、会社は生き物であり、会議もメンテナンスしないと直ぐに形骸化してしまう、だから、機能する会議にするにはメンテナンスが不可欠であり、「会議には懐疑的」という言葉を、「会議があるべき姿になっているのか、常に懐疑的に見よ」と解釈しています、と述べ、見事に見城氏の主張と持論を整合させて見せています。

こんな感じで、熱くて過激な経営者とクールで論理的な経営者の全く異なるキャラクターが各テーマについて議論を交わしており、とっても面白そうだったので、買って帰りました。

また、見城氏のキャッチコピーに引っかかった感じで、少しくやしい気もしましたが、その後読了し、「有能な客引きに引っかかって店に入ったら、意外にかわいい子がいて良心的な店でした」みたいな気分です。