8月は、広島、長崎の原爆の日や終戦記念日、それにお盆に帰省して墓参りなどをしたこともあり、祖先や国を考えることが多かった。
僕が子供の頃は、父方、母方の祖父とも健在であり、二人とも兵隊経験があったにもかかわらず、とにかく戦争時代のことは一言も話さなかった。
今にして想えば、命を懸けて日本のために戦ってくれたことに感謝してあげればよかったと後悔しています。
母方の父は、海軍に所属していたことは、母の実家に戦艦の甲板に船員が勢ぞろいした写真が飾ってあったので知っていましたが、その戦艦の名前が『伊勢』であることを知ったのは、10年ほど前です。
その後、『伊勢』がどんな役割を果たしたのか、どんな活躍をしたのか、興味がありましたが、先日、コンビニで、『まるわかり図解、太平洋戦争海戦史』という文庫本が目に止まり、買って読みました。
この本の中に、戦艦伊勢の名前を探しましたが、3箇所ありました。
最初は、『全滅覚悟で戦いを挑んだ囮作戦、レイテ沖海戦』という項目で、以下の記述があります。
『また航空戦艦「伊勢」「日向」は巧みに空襲を切り抜け、一発の被弾も受けなかった。空母全滅など大きな犠牲を払ったが、囮任務自体は成功した。ある意味、これが「レイテ沖海戦」最大の戦果といえるのかもしれない。』
次は、あの戦艦『大和』が沈没した『坊ノ岬沖海戦』という項目の中で、以下の記述があります。
『また2月中旬(1945年)に、航空戦艦「伊勢」「日向」が輸送路の絶たれた南方から、物資を積載して奇跡的に日本に帰ってきたが、「日向」の残りの燃料も「大和」に回されたともいわれている。』
そして最後は、『呉軍港空襲』であり、終戦が近づき、燃料も尽き、残った空母や戦艦などの殆どが港の中で浮き砲台として停泊していたところを、アメリカ軍がまさに真珠湾の仇討ちとばかりに爆弾の雨を降らせて全滅させた様子が書いてありますが、その沈没した戦艦の中に「伊勢」の名前があります。
こうやって、戦艦「伊勢」の非常に断片的な文章を読んだだけでも、母方の祖父が生き残ったことが奇跡的なことが分かります。
母方の祖父は、戦後は大工をしていましたが、とにかく無口な人でした。でも無口だったのは、孫の僕が、祖父に誠実な関心を示さなかったためかも知れません。
今、改めて、二人の祖父に敬意と感謝を捧げたいと思っております。
僕が子供の頃は、父方、母方の祖父とも健在であり、二人とも兵隊経験があったにもかかわらず、とにかく戦争時代のことは一言も話さなかった。
今にして想えば、命を懸けて日本のために戦ってくれたことに感謝してあげればよかったと後悔しています。
母方の父は、海軍に所属していたことは、母の実家に戦艦の甲板に船員が勢ぞろいした写真が飾ってあったので知っていましたが、その戦艦の名前が『伊勢』であることを知ったのは、10年ほど前です。
その後、『伊勢』がどんな役割を果たしたのか、どんな活躍をしたのか、興味がありましたが、先日、コンビニで、『まるわかり図解、太平洋戦争海戦史』という文庫本が目に止まり、買って読みました。
この本の中に、戦艦伊勢の名前を探しましたが、3箇所ありました。
最初は、『全滅覚悟で戦いを挑んだ囮作戦、レイテ沖海戦』という項目で、以下の記述があります。
『また航空戦艦「伊勢」「日向」は巧みに空襲を切り抜け、一発の被弾も受けなかった。空母全滅など大きな犠牲を払ったが、囮任務自体は成功した。ある意味、これが「レイテ沖海戦」最大の戦果といえるのかもしれない。』
次は、あの戦艦『大和』が沈没した『坊ノ岬沖海戦』という項目の中で、以下の記述があります。
『また2月中旬(1945年)に、航空戦艦「伊勢」「日向」が輸送路の絶たれた南方から、物資を積載して奇跡的に日本に帰ってきたが、「日向」の残りの燃料も「大和」に回されたともいわれている。』
そして最後は、『呉軍港空襲』であり、終戦が近づき、燃料も尽き、残った空母や戦艦などの殆どが港の中で浮き砲台として停泊していたところを、アメリカ軍がまさに真珠湾の仇討ちとばかりに爆弾の雨を降らせて全滅させた様子が書いてありますが、その沈没した戦艦の中に「伊勢」の名前があります。
こうやって、戦艦「伊勢」の非常に断片的な文章を読んだだけでも、母方の祖父が生き残ったことが奇跡的なことが分かります。
母方の祖父は、戦後は大工をしていましたが、とにかく無口な人でした。でも無口だったのは、孫の僕が、祖父に誠実な関心を示さなかったためかも知れません。
今、改めて、二人の祖父に敬意と感謝を捧げたいと思っております。