お盆に石川県に帰省して来ました。
親の老いた姿を見たり、自分が介護ビジネスに携わるようになって、最近『老い』とか『老い方』はたまた『逝き方』に関心が高まり、この帰省の空き時間に、数冊その分野の本を読んだ。
その中にお墓の話が出て来ました。
『千の風になって』という歌が大ヒットし、今でも高齢者の同窓会などで皆で合唱するらしいのですが、その中で、『私のお墓の前で泣かないで下さい。そこに私はいません。眠ってなんかいません。』と言っています。
『じゃあ、どこにいるんだ』ということで、親鸞は、人は死んだら浄土に行って、先に行った人たちと再会するのだと言っていたそうです。
それなら、お墓なんかいらないということになってしまいますが、お墓がないとお骨を納める場所に困るし、お盆にお墓参りに行くのにどこに行けばよいか困ってしまうので、やっぱりお墓はあった方がよさそうです。
そんなことを思っていた矢先、近くのおばちゃん夫婦がやって来て、新しく出来た墓地の一区画(1坪)を25万円で買ったと言い、土地は用意したので、墓石は息子の責任分担だと言っていました。
1坪25万円が高いのか安いのかよく分かりませんが、1坪25万円はどうなのって聞いたら、『永代だから』と言われ、その時は土地を買ったのだから永代が当たり前だと思いました。
ところが、都会の墓地販売を見て、『永代だから』と言った本当の意味が分かりました。よく都会で永代供養と謳って墓地を販売していますが、都会の永代は少し変わっていて、数年間は一区画の墓地が与えられますが、数年後からはロッカーに移され、お参りに行くとそのロッカーから取り出されてお参りが出来るシステムになっている所が多いそうです。つまり都会の永代は、その一区画を永代で保有しているのではないということです。
科学的、経済的には、お墓やお墓参りについて非合理的なことは多々あるのですが、世の中科学で説明出来ないいろんな事があるし、僕もこれまでの人生の中で不思議と守られているという感覚を持って生きて来たので、祖先を敬う気持ちや供養などは大切にしていきたいと思っています。
親の老いた姿を見たり、自分が介護ビジネスに携わるようになって、最近『老い』とか『老い方』はたまた『逝き方』に関心が高まり、この帰省の空き時間に、数冊その分野の本を読んだ。
その中にお墓の話が出て来ました。
『千の風になって』という歌が大ヒットし、今でも高齢者の同窓会などで皆で合唱するらしいのですが、その中で、『私のお墓の前で泣かないで下さい。そこに私はいません。眠ってなんかいません。』と言っています。
『じゃあ、どこにいるんだ』ということで、親鸞は、人は死んだら浄土に行って、先に行った人たちと再会するのだと言っていたそうです。
それなら、お墓なんかいらないということになってしまいますが、お墓がないとお骨を納める場所に困るし、お盆にお墓参りに行くのにどこに行けばよいか困ってしまうので、やっぱりお墓はあった方がよさそうです。
そんなことを思っていた矢先、近くのおばちゃん夫婦がやって来て、新しく出来た墓地の一区画(1坪)を25万円で買ったと言い、土地は用意したので、墓石は息子の責任分担だと言っていました。
1坪25万円が高いのか安いのかよく分かりませんが、1坪25万円はどうなのって聞いたら、『永代だから』と言われ、その時は土地を買ったのだから永代が当たり前だと思いました。
ところが、都会の墓地販売を見て、『永代だから』と言った本当の意味が分かりました。よく都会で永代供養と謳って墓地を販売していますが、都会の永代は少し変わっていて、数年間は一区画の墓地が与えられますが、数年後からはロッカーに移され、お参りに行くとそのロッカーから取り出されてお参りが出来るシステムになっている所が多いそうです。つまり都会の永代は、その一区画を永代で保有しているのではないということです。
科学的、経済的には、お墓やお墓参りについて非合理的なことは多々あるのですが、世の中科学で説明出来ないいろんな事があるし、僕もこれまでの人生の中で不思議と守られているという感覚を持って生きて来たので、祖先を敬う気持ちや供養などは大切にしていきたいと思っています。