養育費は「子どもの権利」
妻が家を出て行って、「離婚やむなし」と決意したころ、「ところで、養育費って何だろう?」と思ってネットで調べてみました。
「離婚によって夫婦の縁は切れるけれど、親子の縁は生涯切れることはない」ということが養育費を考える際の大原則。養育費は、離婚した妻ではなく、わたしの子どもが持っている権利で、自分が生きていくための費用負担をわたしに責任持ってやってもらうことなのだと知りました。
「親子の縁は一生切れない」というのは、なるほど、動かぬ事実です。たいへん恥ずかしながら、そう言われるまで気付かないでいました。 ←バカな親です
子どもの居場所さえ分からず、ずっと会えない状態が続いていた(現在も会えていませんが…)わたしにとって、「縁が切れない」という事実は、じつはうれしい再発見でもありました。
そういうことなら、「養育費の負担ゼロ」というわけには行かないと思いました。
わたしたちは3月末に離婚だけ成立していて、養育費の話は何もしていませんでした。先方が何も言って来ないので、「このまま支払わなくていいのかな?」と思っていたのですが、もちろんそうはいきませんよね。
今回、4月の末に裁判所から呼び出し状が届いて、調停という形で取り決めをする運びとなったわけです。
ただ、すんなり話し合いが進めばいいのですが、そうは行かないでしょう。
なにせ、相手方はわたしのことを憎み切っています。言動にはひとかけらの情けもなく、わたしを苦しめることも重要な目的のひとつになっているようです。
離婚したのだから当たり前と言えば当たり前なのでしょうか? そのことに改めて気付いたのは、離婚成立後、妻が自分の持ち物を搬出するため、共通の知人を介して日時を決め、わたしが家を空けたときでした。
子どもを撮ってあげるために妻が持っていたデジカメはわたしのお気に入りだったのですが、これからも子どもを撮ってくれるなら、と思って「必要なら返してもらわなくても構いません」と書き置きしてわたしは家を出ました。
搬出作業には、まだ1歳にもならない子どもを連れてくるかもしれず、負担は軽いほうが良いだろうと思って台所の鍋と皿類は、割れないように緩衝材を使って前夜のうちに荷造りしておきました。
約束の時間が過ぎ、家に戻ってみると、がらんとした妻の部屋には、わたしが子どもにあげたものとわたしの両親が子どもに買ってあげたものすべてが突き返されていました。
両手の指を器用に動かし始めるようになったころ、わたしの子は弁当箱で遊ぶのがマイブーム
でした。職場の人が神社の大祭でもらった景品に弁当箱があったので、子どものためにもらってきてあげると、喜んで遊んでくれました。部屋に置いていかれたものの一番上には、この弁当箱がありました。
初孫が生まれ、うれしくてたまらなかったわたしの両親が野球観戦に行った際、乳児用と思い込んで買ってきてくれた犬用のユニホームも、実家から持っていったでんでん太鼓も、どんな小さなものでさえ、わたしにかかわるものはすべて置いて行かれました。
お風呂で子どもが泣き出してしまったとき、わたしがそれを手に持ち、なり代わって「あら、○○くんは泣いてるのかなっ!」なんて話しかけると、急に「ぎゃはぎゃはっ」と笑い出して泣き止んでくれたフラミンゴ
の形をしたピンクのボディブラシを持たせたくて、荷物の中に入れておきました。ですが、これも風呂場のタオルの中に顔からねじ込まれていました。
それを見たときは心が「ずん」としました。
離婚というものの重大さを認識できない男というか、状況が読めない男というか、わたしが甘いのでしょう。ただ、もう離婚してしまったのだから、これ以上執拗に傷付け合うこともないだろうとわたしは思っていました。
ですが、この一件でわたしも気持ちが決まりました。相手がどういうつもりでいるかもはっきりつかめました。
相手はわたしの身を削りにかかってきています。
明らかな嫌がらせをするし、わたしが苦しむ方向にすべての物事を持っていこうとするでしょう。「デジカメは持って行っていいよ。しっかり撮ってあげてね」なんてことをやっていた自分は、なんと感傷的で、ばかばかしい人間か。
これからは、“お人よし”みたいな中途半端な面を見せては、絶対にだめだと思いました。
養育費を負担すべきことは、わたしは理解したつもりです。ですが、お人よしで、中途半端な態度で臨んでは極めて苦しい目に遭うことは間違いないでしょう。わたしが「子どものため」と思って負担額を上げて譲歩したって、相手からはわずかばかりも感謝されることなどなく、妻はわたしたちの離婚を裏でコントロールした母親と手に手を取って「勝った、勝った![]()
」と喜ぶだけでしょう。
正直、兼ね合いがムズいです。
養育費は金額の決め方に「算定表」もあり、相手が無職を通して収入がなければ、その分わたしの負担額が大きくなることも知りました。
これらの話は、次回に譲ります。
この弁当箱を見ると、喜んで遊んでくれた子どもの顔を思い出して、なんと心が苦しいことか。「苦しい」という言葉さえうまく当てはまらず、自分の心が切れて血のようなものが出てくる感覚を覚えます。離婚は、しないで済めばそれに越したことはありません。
写真を撮って気付きましたが、「a Little Smile」と書いてあったのですね。日常の、小さな家庭の何気ない笑顔さえわたしは守れず、わが子に「ほんとにごめんね」と伝えたいです。申し訳ない気持ちでいっぱいです。
