「体当たりの演技」という定型句が嫌いだ。
いったい何が演技なのだと。
女優が裸になると、必ずと言っていいほどメディアは「体当たりの演技」
という言葉を使う。でも、それはただ単に服を脱いだだけのこと。
演技とは別次元の話だ。「恥ずかしげもなく裸体を晒したじゃないか」と言うが
羞恥心があったら女優などという職業はやっていない。
「体当たり」という場合は、過去の輝かしいキャリアを捨てたり、
役者としてのイメージをブチ壊したり、役者生命を賭したり、
あるいは自分のキャラクターに反する演技を言うのだろう。
写真の女優は、エリザベス・バークレー。彼女は「ショー・ガールズ」に主演し、
自らの女優人生を台無しにしてしまった。
これこそが、「体当たり」なのだ。自分のキャリアがダメになるかもしれないし、
あるいは一気に成功への階段を駆け上がれるかもしれない。
そういう作品で、自分をボロ雑巾のように酷使して、何とか完成にこぎつける。
これこそが、「体当たり」なのだ。
だから、結果的にエリザベス・バークレーは裸になったけど、
服を脱がなくても成立する話、だと思う。
ところで、エリザベス・バークレーは「ショー・ガールズ」のおかげで
女優人生を崩壊させてしまった(その後の作品はパッとしない)のだが、
「体当たり」とはまさに特攻で、演者は自滅する場合がほとんどなのだ。