どうも、いろんな中毒の鬱おっさんでし。でし!


死刑にいたる病をアマプラで見たので感想というか、ごちゃごちゃ考えたことを書き出していくよ。


今回も個人的記録に近い。

あと原作は読んでない。

そしてそろそろ見放題は終了する。



・死刑にいたる病とは?


こういう強いワードのタイトルが伏線になるタイプと、前提のタイプがある。

今回は前提と考えてよいだろう。

なんせキルケゴールの死にいたる病の解説が挟まれているのだから。


キルケゴールのいう精神の死は絶望によってもたらされる。

だが、ハシムラは絶望しているだろうか?

彼は最後の最後まで楽しんでやろう、としていた。

自己の特質を理解し、追求し、そこに希望を見出してしまったことが「死刑にいたる病」なのだろう。



・アンチキルケゴールか?


マサヤは自己や過去と向き合うことで事件の本質に辿り着く。

その点では、キルケゴールの主張を肯定している。

ただ、正しく生きていくには他にも必要なものがある。認知の歪みと呼ばれるものに対抗する何かが。


それは倫理観や正義感なのか、自己肯定感なのか、それらをなんと呼ぶのかを我々に問いかける作品なのだろうと思った。



・虐待について


先日書いたように、僕はアル中や鬱病だと言ったところで既読無視されるような家庭で育った。

諦めている。

諦めるしかない家族。虐待と言えることはいくらでもあった。


だからこそ、「虐待を受けたら人間として歪む」という考えは否定している。

いや、アル中、OD、鬱のオンパレードになっとるので歪んではいるのだろうが。

他者を傷つけてはないはずだ。

加害者よりも被害者であることの方が多い。

犯罪に走った人間もそのいくつかのピースが揃ったにすぎないのだろう。



・他者とのコミュニケーションについて


パワハラやモラハラにセクハラ…

様々叫ばれる時代になった。

それらは忌避されるべきものではあるが、なぜその手法でコミュニケーションを取ろうとするのかには疑問を持ち続けるべきなのかもしれない。


アル中は酒が好きだからアル中になったのか。

僕の場合は違う。陰鬱な世界から逃げたかった。

アル中だからと虐げられたなら、僕はもっと悪化していたかもしれない。


世の中クソな奴はクソだ。ハシムラもそう。

理解したってダメな奴はダメだ。


だが、苦しんでいるのかもしれない、変わりたいのかもしれない人間には、誰かが寄り添わなくてはと思うのは、親のご機嫌をとってきた僕の認知の歪みなのだろうか。


僕には結論が出せずにいる。