前回までのあらすじ。

僕は様々な物質に依存していて、保健福祉センターでカウンセリングというか相談をすることになった。


根は真面目というか慎重というかなので、事前に聞かれるであろう人生のターニングポイントというか、現状自覚している問題についてを書き出してみた。


ルーズリーフ1枚が両面埋まった。

多いか少ないかはどうでもいい。他者の評価は知ったこっちゃない。

「僕はそれを乗り越えてない」という現状を把握しているだけだ。

 

具体的な考えや感想は話す時に補足するだろうと抜いておいた。

つまりそこに残っているのは事実起こった出来事で、疑う余地も感想も排除した、僕の過去と問題だ。



書き終えた今の僕はウットとブロンと酒を併用して苦痛から目を背けている。背けようとしている。

だから、上手く文章に起こせているかを僕は自覚できない。読みにくい場合は申し訳ない。 


僕のブログは個人的な記録としての意味合いが強いので、後日読み返して誤字脱字などあったとしても書き直すことはないだろう。

現時点では思考能力は然程軽減されていないと思う。

酔ってはいるが、変わらず陰鬱で体感に大きな変化はない。厄介だ。

依存して楽になれた内はそれでよかったのに。



そんな今の僕が言いたいことは、(あくまで僕の場合だが)依存の原因は「現状の苦しみや悩み」が本質的な問題ではないということだ。


そりゃあ嫌なことがあった日は依存に逃げるさ。

だが、「その嫌なこと」は大体の場合、過去の出来事を想起させるものだ。


僕は変えられることのない過去の積み重ねが苦しい。


今日は明日になるが、過去はずっと過去のままだ。

脳に刻み込まれた記憶を乗り越えることは難しい。

だから、思い出す能力を低減させたい。

思考をぼやけさせたい。



他者の評価や同情は僕の救いにはならない。

それらは事実に基づく認知の歪みを矯正できはしないから。


理解されて過去が変えられるか?

起きた出来事は変わらない。


過去をどう受け止めるか。

その手法なんて死ぬほど考えてきたことだ。


頑張った。

それを認めてもらっても済みはしない。



依存症にしろ鬱にしろその他様々な精神疾患にしろ、「今というこの一点を注視しても何の救いにはならない」と、僕は考える。



風邪なんかの肉体的病理は「その時」のしんどさだ。


「いやぁ、去年風邪ひいてしんどかったんですよ〜。あの時の苦痛を減らしたいので風邪薬をください」なんて内科を受診する人はいないだろう。


精神的病理はそこに差異がある。

謂わば、ずっと風邪をひき続けているような感じだ。


過去からずっとしんどくて、今のしんどさを軽減するには風邪をひいたその時にタイムスリップして対処しようね、といった感じ。


タイムスリップできる人間ならまぁ、大した問題じゃないだろう。

だが少なくとも僕はタイムスリップはできない。



僕は正常に生きていける人間が羨ましい。

「たかが風邪じゃないか」と、僕だって思いたい。


それができなかった。

できないことに気付いてしまった。



僕はこれから一歩進むつもりだが、その前に3歩退がっている。

他の人はスタートラインから全力ダッシュしているのに、僕は3歩退がってようやく一歩踏み出せる。


スタートラインに辿り着けてもいない。

依存から脱却しようとして、より依存している。

 


だから、もし「苦痛から逃げたいから依存したい」なんて考えている人がいたとすれば、僕は全力で止める。


それは地獄への一歩でしかない。

他者に救いの手を差し出せないとしても、この一歩は踏み出さずにいてほしい。


僕の叔父貴はアルコール中毒で死んだ。

あの頃に戻れても何もできないと思う。 

だから僕の言葉は無駄なものかもしれない。


だが、やめてほしいんだ。

依存すると今以上にどうしようもないタイミングがきてしまう。


だからって死なないでもいてほしい。

僕が「依存から抜け出したい」と足掻こうとしているくらいには、この世界は生きる価値があると思う。



金で将来の安心を買おうとしている人間も、一度立ち止まって考えた方がいい。


今と、過去を。

それだけが未来になるんだ。

それだけだよ。

それだけなんだ。


金があろうとなかろうと、過去からは逃げられやしない。

「金があった方がマシ」ってのには賛同するけど、年老いてそこに気付く前に、一度ゆっくり考てみてほしい。



以上、「社会というスタートライン二歩手前」からのおじさんでした。